専光寺村(読み)せんこうじむら

日本歴史地名大系 「専光寺村」の解説

専光寺村
せんこうじむら

[現在地名]金沢市専光寺町

鷺森さきもり村の南に位置し、枝村にはま村・番屋ばんやがある。中世には大野おおの庄に属し、吉藤よしふじ村と称していたが、遅くとも永享年中(一四二九―四一)には大糠おおぬか(大額)村にあった真宗の有力寺院専光寺が当地に移り、一向一揆の大坊主として活躍したことから専光寺の村名が生じた。同寺は天正八年(一五八〇)鶴来つるぎ(現鶴来町)に移転、慶長元年(一五九六)には金沢城下に移ったが、当村はそのまま専光寺村を称した(加能郷土辞彙)。なお、文明年中(一四六九―八七)河北かほく八幡やわた村から当地に移り、専光寺とともに一向一揆下で活躍した善照ぜんしよう坊も寛永(一六二四―四四)頃まで当地に所在していたと思われる。集落南方の田地にどうのまえ・どうのうし・ほりた・ごうなどの地名が残り、専光寺跡との関連が指摘される(→専光寺善照坊


専光寺村
せんこうじむら

[現在地名]富山市水橋専光寺みずはしせんこうじ

白岩しらいわ川東方の平地に位置し、西は曲淵まがりぶち村。北を小出こいで川が流れる。専光寺跡があったと伝える(越中志徴)正保郷帳では高三七一石余、田方二四町二反余・畑方五反。明暦二年(一六五六)の村御印留では草高三八七石・免四ツ五歩。天保一一年(一八四〇)まで草高・免に変化はない(「高免帳」杉木家文書)。所属組は伊勢屋いせや村と同じ。灌漑上市かみいち川から引水した下条げじよう用水を利用。嘉永四年(一八五一)の家数一五・人数七九、耕作馬一(「高免定納等手帳」杉木家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android