小出とい(読み)コイデ トイ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「小出とい」の解説

小出 とい
コイデ トイ


職業
箏曲

別名
別名=小井出 登以

生年月日
天保11年 11月7日

出生地
肥後国山鹿(熊本県 山鹿市)

経歴
5歳の時に失明。6歳で宮原検校弟子である美之一に入門し、地歌と琴の手ほどきを受けた。明治38年に上京して10年ほど後進育成に当たったが、大正6年に帰郷美声の持ち主で、特に歌物に秀でた。門弟加藤柔子らがいる。

没年月日
大正7年 11月11日 (1918年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「小出とい」の解説

小出 とい
コイデ トイ

明治・大正期の箏曲家



生年
天保11年11月7日(1840年)

没年
大正7(1918)年11月11日

出生地
肥後国山鹿(熊本県山鹿市)

別名
別名=小井出 登以

経歴
5歳の時に失明。6歳で宮原検校の弟子である美之一に入門し、地唄と琴の手ほどきを受けた。明治38年に上京して10年ほど後進の育成に当たったが、大正6年に帰郷。美声の持ち主で、特に歌物に秀でた。門弟に加藤柔子らがいる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小出とい」の解説

小出とい こいで-とい

1840-1918 明治-大正時代の地歌・箏曲(そうきょく)家。
天保(てんぽう)11年11月7日生まれ。5歳のとき失明し,宮原検校門下の美之一に師事。明治35年ごろ上京し,弟子の養成につとめる。大正6年熊本県山鹿に帰郷。門下に加藤柔子。とくに歌にすぐれていた。大正7年11月15日死去。79歳。姓名は小井出(手)登以ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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