小夜 福子
サヨ フクコ
- 職業
- 女優
- 本名
- 東郷 富美子
- 旧名・旧姓
- 飯田
- 生年月日
- 明治42年 3月5日
- 出生地
- 静岡県 沼津市
- 学歴
- 宝塚音楽学校卒
- 経歴
- 大正11年宝塚少女歌劇団に入る。昭和2年からは男役をつとめ、葦原邦子とともに宝塚初期の黄金時代を築いた。15年宝塚を退団、演出家の東郷静男と結婚。一時家庭の人となるが、18年第2次東宝劇団に参加。戦後は民芸に入り、名脇役として活躍した。主な出演作品に「その妹」「セールスマンの死」「アンネの日記」など。47年に民芸を退団、以後は映画、テレビで活躍をつづけ、最後の舞台は63年の宇野重吉一座の「三年寝太郎」だった。
- 没年月日
- 平成1年 12月29日 (1989年)
- 家族
- 夫=東郷 静男(演出家)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
小夜 福子
サヨ フクコ
大正・昭和期の女優
- 生年
- 明治42(1909)年3月5日
- 没年
- 平成1(1989)年12月29日
- 出生地
- 静岡県沼津市
- 本名
- 東郷 富美子
- 旧姓(旧名)
- 飯田
- 学歴〔年〕
- 宝塚音楽学校卒
- 経歴
- 大正11年宝塚少女歌劇団に入る。昭和2年からは男役をつとめ、葦原邦子とともに宝塚初期の黄金時代を築いた。15年宝塚を退団、演出家の東郷静男と結婚。一時家庭の人となるが、18年第2次東宝劇団に参加。戦後は民芸に入り、名脇役として活躍した。主な出演作品に「その妹」「セールスマンの死」「アンネの日記」など。47年に民芸を退団、以後は映画、テレビで活躍をつづけ、最後の舞台は63年の宇野重吉一座の「三年寝太郎」だった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
小夜福子
さよふくこ
[生]1909.3.5. 静岡
[没]1989.12.29. 東京
女優。本名東郷冨士子。 1922年宝塚音楽歌劇学校入学。子役,娘役も多いが,堀正旗作『青春』 (1934) のヘルマンなど,男役として葦原邦子と競うスターとなった。演出家東郷静男との結婚を機に,42年『東へ帰る』東京公演を最後にして退団。 51年劇団民芸に入り,武者小路実篤作『その妹』の妹静子で好演した。 A.ミラー作『セールスマンの死』の妻リンダが当り役。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
小夜福子 さよ-ふくこ
1909-1989 大正-昭和時代の女優。
明治42年3月5日生まれ。大正11年宝塚少女歌劇団月組に入団し,男役でトップスターとなる。昭和16年退団。第2次東宝劇団,民衆芸術劇場(民芸)にはいり,「セールスマンの死」「アンネの日記」などに出演した。映画出演もおおい。平成元年12月29日死去。80歳。静岡県出身。宝塚音楽歌劇学校卒。本名は東郷富見子。旧姓は飯田。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
小夜 福子 (さよ ふくこ)
生年月日:1909年3月5日
大正時代;昭和時代の宝塚スター,女優
1989年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の小夜福子の言及
【少女歌劇】より
…続いて白井鉄造が洋行,帰国してレビュー作品《パリゼット》(1930)を発表,橘薫,三浦時子のエッチン・タッチンのコンビが人気を集めた。33年に20周年記念作品《花詩集》が生まれ,葦原(あしはら)邦子,桜緋沙子のコンビ,続いて小夜(さよ)福子,奈良美也子らのスターが人気を集めた。この時代が宝塚歌劇の黄金時代であり,〈清く正しく美しく〉をモットーに華やかな貴族趣味の夢を多くの少女ファンに与えた。…
【轟夕起子】より
…本名西山都留子。作曲家の山田耕筰から轟夕起子という芸名をもらい,1932年,宝塚少女歌劇団に入り,娘役として,とくに男役の小夜(さよ)福子とコンビを組んで大成功。都留子の名をもじったトルコの愛称で親しまれ,人気も絶頂に達した37年に,日活に引き抜かれて映画に転向した。…
※「小夜福子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」