朝日日本歴史人物事典 「小川一真」の解説
小川一真
生年:万延1.8.15(1860.9.29)
日本における写真業並びに写真出版業の先覚者。名はかずまさ,かずまとも読む。武蔵国忍(行田市)生まれ。明治6(1873)年,旧藩主松平忠敬の給費で東京の有馬学校に入り土木工学を修め,13年築地のバラー学校で英語を学び,翌年には横浜の外国人居留地で警察の通詞となる。 15年有馬学校時代に興味を抱いた写真術を極めようと,渡米する。アメリカではボストンのハウスティング写真館に住み込み,ヨーロッパから伝えられる最新の写真技術,コロタイプ印刷術などを習得し,明治17年1月帰国した。同年,東京飯田町に玉潤館を開業し,最新の技術で写真撮影をする写真館として評判をとる一方,事業家としても多彩な展開をみせる。17年から写真乾板の製造に乗り出し失敗したが,続いて18年カーボン印画法の材料を売り出す。また22年には雑誌『写真新報』を復興して編集人兼発行人となり,博文堂書店から刊行した(1969年9月まで)。 撮影の仕事としては,明治20年内務省の委嘱で皆既日食のコロナ撮影を行い,翌21年,枢密院顧問官,男爵で図書頭の九鬼隆一による近畿地方の古美術文化財調査に同行し,奈良の古寺に遺された仏像など文化財の調査撮影を行った。この仕事が契機となりフェノロサの日光の美術史調査にも同行し,のち岡倉天心(覚三)らと国華社を設立,明治22年10月コロタイプ印刷による図版入りの美術雑誌『国華』を創刊するに至った。また,日清戦争や濃尾大震災,アイヌ民族の生活誌調査など,ドキュメンタリーの分野でも数多くの業績を残し,写真を社会的な途に活用する生涯を貫いた。
(平木収)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報