小弓城跡(読み)おゆみじようあと

日本歴史地名大系 「小弓城跡」の解説

小弓城跡
おゆみじようあと

[現在地名]中央区南生実町

千葉氏一族原氏が居城したとされる中世城跡通説によれば、一六世紀初頭までは原氏が居城していたが、永正一五年(一五一八)に真里谷武田氏と小田原北条氏によって原氏は追われ、入れ替って足利義明が入城した。以後義明は小弓公方と称して上総安房の盟主的存在であったが、天文七年(一五三八)の第一次国府台合戦で敗死したため、再び小弓城には原氏が復帰した。しかし原氏は小弓城の北約一・五キロに新たに生実おゆみ城を築城し移ったために廃城になったという。城跡は標高二二メートルほどの台地上に立地し、ほぼ四周を水田や池に取囲まれ、わずかに北東端が台地基部とつながっている。城域はほぼ独立した台地上の全面にわたり、東西六〇〇メートル・南北四五〇メートルの規模となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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