小弓城(読み)おゆみじょう

日本の城がわかる事典の解説

おゆみじょう【小弓城】

千葉県千葉市中央区にあった平山城(ひらやまじろ)。築城時期は不明。千葉氏が亥鼻城(いのはなじょう)(同市中央区)を築いたころに、その支城として建設されたのではないかといわれる。応永年間(1394~1428)に、千葉兼胤の弟・胤高が居城として原氏を名乗り、以後、原氏の居城となった。1455年(康正1)には、城主の原胤房が馬加城(同市花見川区)の馬加康胤とともに亥鼻城を急襲し、千葉宗家を滅亡させている。1517年(永正14)、足利義明(第2代古河公方足利政氏の子、第3代古河公方の足利高基の弟)が真里谷城(まりがやつじょう)(木更津市)の武田信保の支援を受けて原氏から城を奪い、小弓御所を設けて小弓公方を名乗った。この戦いは小弓城合戦と呼ばれるが、義明に敗れた城主の原友胤は、子の虎胤とともに甲斐に落ち延び、武田氏に仕えた。虎胤はのちに、武田二十四将の一人に数えられる武将となった。義明はこの城(小弓御所)を拠点に、古河公方や北条氏と対立したが、1538年(天文7)に大軍を擁して下総国国府台に出陣して北条氏綱と戦って敗れ戦死した(第一次国府台合戦)。これにより城を奪還した原氏は、同城の北側に新城を築き、「生実(おゆみ)城」と改名したとされている。しかし、近年の発掘調査で、新城とされていた生実城もすでに存在していたことが確認された。かつての小弓城は新旧両城を指していた可能性が高くなったため、小弓御所が置かれた城を「南生実城」、新城とされてきた生実城を「北生実城」として区別することがある。原氏が生実城(北生実城)を築城(整備)して居城とした後、小弓城(南生実城)は廃城となった。その後、生実城(北生実城)は正木氏らによる攻略と原氏の奪還を繰り返している。1590年(天正18)の豊臣秀吉の北条氏攻め(小田原の役)の際、城主の原胤栄は徳川勢の酒井家次によって討たれ、同城は落城。その後、西郷家員が5000石で入城した後、1627年(寛永4)には森川重俊が1万石で入城し、明治の廃藩置県に至るまで森川氏が13代にわたってこの地を治めた。森川氏は生実城(北生実城)跡に、生実藩の陣屋(森川陣屋)を築いている。現在、かつての小弓城(南生実城)跡は、宅地や農地に変わっており、土塁や堀跡などが断片的に残っている。京成千原線学園前駅から徒歩約15分。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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