小弓荘(読み)おゆみのしょう

百科事典マイペディア 「小弓荘」の意味・わかりやすい解説

小弓荘【おゆみのしょう】

尾張国丹羽郡内にあった荘園。現愛知県犬山市域に比定される。正暦年間(990−995)丹羽郡司良峯氏(のち橘氏)から藤原道長を本家として寄進され成立。以後領家職は摂関家藤原氏嫡流に伝えられ,鎌倉期以降は近衛家領となった。領主職は橘氏が留保したようである。12世紀初頭には開発が進み〈小弓御荘開発方〉が成立。1156年からの保元新制の際には加納であるとして尾張国司により停廃が企てられたが,領主側は別荘であると反論した。同時期,山名(やな)荘(現愛知県丹羽郡扶桑町)の前荘司により山名入野が〈小弓荘加納〉として収公される事件もあり,開発などにより荘域が拡大していたことがうかがえる。鎌倉前期には溝口神畠・入鹿迫などの地をめぐる相論が起きている。南北朝期には尾張守護土岐氏一族高山伊賀守の濫妨を受け,1353年には濫妨停止を命じる綸旨が出された。1385年には近衛通嗣から虎関師錬創建の京都楞伽(りょうか)寺への領家職寄進が安堵された。1466年までは同寺領であったことが確認されるが,1480年には東福寺塔頭海蔵院に移っていた。なお領家職は室町時代には〈小弓荘内犬山領家職〉と表されるようになり,領家の支配領域が犬山付近に限定されていったと考えられる。

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改訂新版 世界大百科事典 「小弓荘」の意味・わかりやすい解説

小弓荘 (おゆみのしょう)

尾張国丹羽郡(現,愛知県犬山市)内の荘園。正暦年中(990-995)に,丹羽郡司良峰季光(舎弟惟光とも)が,私領を藤原道長の法成寺に寄進したことにより成立。のち近衛家領。領主職は惟光の子孫が保留した。12世紀初めより開発がすすみ,〈開発方〉が成立したが,1156年(保元1)国司が新制を根拠に加納として停廃しようとした。同じころ,山名入野(やなのいりの)も小弓荘加納として収公されようとしている。鎌倉初期には,溝口神畠と入鹿迫(いるかのはざま)をめぐって荘家代官と地頭代の争いがおこっている。小弓荘は鎌倉中期までには地頭請所となった。南北朝期には守護土岐氏一族の濫妨を受けている。前関白近衛通嗣の領家職寄進により,1385年(元中2・至徳2)京都楞伽寺領として安堵され,1466年(文正1)までは同寺領であったが,1480年(文明12)にはすでに京都東福寺海蔵院領となっている。15世紀に入ると領家の支配対象も荘内の犬山のみに限定された。1518年(永正15)石徹白(いとしろ)大師堂鰐口銘に〈小弓庄犬山郷〉とあるのが終末所見。
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