百科事典マイペディア 「保元新制」の意味・わかりやすい解説
保元新制【ほうげんしんせい】
→関連項目小弓荘|荘園(日本)
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後白河天皇の保元元年(1156)閏9月18日(保元元年令)と翌2年10月8日(保元二年令)の2度にわたり発布された公家新制。元年令は全7ヵ条で,1155年(久寿2)以後の新立荘園や,本免田以外の加納余田の停止などの荘園整理令と,諸社寺の神人・悪僧の員数の制限と濫行の停止,仏神事用途の制限などの条項より成る。二年令は全35ヵ条であったが,今日復元できるのは12ヵ条ほどにすぎない。仏神事の興行,過差の停止,京官の執務励行などの京都を中心とする朝廷内部に関する規範が主であったと思われる。元年令,二年令ともに,保元の乱平定後の後白河親政下で,諸権門の勢力の制限と,朝廷内部規範の刷新を目的としたもので,その条項の多くは治承新制を経て建久新制に継承された。特に二年令の多数の整備された条項は,鎌倉時代の新制の基本的な型式と性格の嚆矢(こうし)となったことが注目される。
執筆者:後藤 紀彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…保元の乱後,後白河天皇は保元新制を出し,王土思想の上に立って,自己の宣旨以外では荘園を立てえぬことを明示し,白河・鳥羽両院の院庁下文もこれに準ずるものとした。これをのち三代御起請地と称し,とくに一国平均役の免除を主張する荘園側の根拠とされた。…
…とくに白河院,鳥羽院,後白河院は御願寺領などの天皇家領荘園については院庁下文によって荘号・不輸不入を認めており,これは〈三代御起請地〉といわれて最も強い特権をもったのである。
[荘園公領制の確立]
白河院,鳥羽院の院庁下文と後白河天皇宣旨を得た荘園を停止の例外とすることを規定した1156年(保元1)の保元新制は,全国が天皇の支配下にあることを強調,荘園の廃立は宣旨のみによることを明らかにし,荘園・公領の分野をかく乱する出作り・加納を停止した。あわせてこの新制は神人・悪僧の濫行を抑制し,神人交名(きようみよう)を注進させ,さらに寺社領荘園と仏神事用途の注進を命じている。…
※「保元新制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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