小林信近(読み)コバヤシ ノブチカ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「小林信近」の解説

小林 信近
コバヤシ ノブチカ


肩書
衆院議員(改進党),伊予鉄道創立者,伊予銀行創立者

旧名・旧姓
旧姓=中島

生年月日
天保13年8月28日(1842年)

出生地
伊予国松山(愛媛県松山市)

経歴
維新後、松山藩少参事を務めたのち、明治10年愛媛県特設議会初代議長、11年和気温泉久半郡郡長、23年松山市議会初代議長を歴任。また改進党に参加し衆議院議員も務める。この間、明治9年士族救済のため牛行舎を設立、製織、製靴を営む。11年松山で第五十二国立銀行(現・伊予銀行)を創設、さらに海南新聞(現・愛媛新聞)の経営に参加し、16年社長。続いて20年伊予鉄道会社(現・伊予鉄道)を創立し初代社長に就任。34年には有志らとともに伊予水力電気(現・四国電力)を創設し、愛媛の電気事業の基礎づくりをした。

没年月日
大正7年9月24日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小林信近」の解説

小林信近 こばやし-のぶちか

1842-1918 明治時代実業家,政治家。
天保(てんぽう)13年8月28日生まれ。明治10年第五十二国立銀行を設立。愛媛県会議長,海南新聞(愛媛新聞の前身)の社長,松山商法会議所会頭などをつとめ,20年伊予(いよ)鉄道を創立してわが国最初の軽便鉄道をはしらせた。25年衆議院議員(立憲改進党)。大正7年9月24日死去。77歳。伊予(愛媛県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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