小林勝(読み)コバヤシ マサル

20世紀日本人名事典 「小林勝」の解説

小林 勝
コバヤシ マサル

昭和期の小説家,劇作家



生年
昭和2(1927)年11月7日

没年
昭和46(1971)年3月25日

出生地
旧朝鮮・慶尚南道晋州

学歴〔年〕
早稲田大学露文科〔昭和26年〕中退

主な受賞名〔年〕
新劇戯曲賞(第6回)〔昭和35年〕「檻」

経歴
早大在学中の昭和25年、レッド・パージ反対闘争で停学処分を受けて退学する。27年火焰壜闘争で逮捕され、29年懲役1年の実刑判決を受け、34年最高裁で上告棄却となる。この間、27年に「ある朝鮮人の話」を発表。31年発表の「フォード・一九二七年」「軍用露語教程」が芥川候補作品となる。35年発表の戯曲「檻」で新劇戯曲賞を受賞した。他の作品に「断層地帯」「強制招待旅行」「チョッパリ」などがある。


小林 勝
コバヤシ マサル

昭和期の劇作家,シナリオライター 早稲田大学講師。



生年
明治35(1902)年7月22日

没年
昭和57(1982)年9月7日

出生地
愛知県

本名
小林 玄勝(コバヤシ ゲンショウ)

学歴〔年〕
東京帝大美学美術史科卒

経歴
在学中、第9次・第10次「新思潮」の同人となり、「五人組事件」などの戯曲を発表。東大卒業後、PCL(写真化学研究所)脚本部に所属し、映画シナリオを手がける。日本の映画シナリオ作家の草分けで、代表作は夏目漱石の作品を映画化した「坊ちゃん」「こころ」「吾輩は猫である」など。戦後は昭和25年から45年まで映倫審査員を務めた。また“ラジオ小説”という新しい放送形式を開拓した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小林勝」の意味・わかりやすい解説

小林勝
こばやしまさる
(1927―1971)

小説家、劇作家。本籍は長野県だが、生まれたのは朝鮮慶尚南道。陸軍航空士官学校、旧制都立高校文科甲類を経て、早稲田(わせだ)大学ロシア文学科に転入学したが、レッド・パージ反対闘争に巻き込まれて中退。1952年(昭和27)6月には新宿駅前の火炎びん闘争で逮捕され、下獄。平明なリアリズムの手法で戦中・戦後の鬱屈(うっくつ)した青春を語る点に特色があり、『フォード・一九二七年』(1956)、『軍用露語教程』(1956)はともに芥川(あくたがわ)賞候補となった。59年、獄中で戯曲『檻(おり)』を執筆し、翌年、民芸上演、新劇戯曲賞を受賞した。いわゆる極左冒険主義時代を運動内部者の目で描いた全五部作の『断層地帯』(1958)、ほかに、『狙撃(そげき)者の光栄』(1959)、『強制招待旅行』(1962)、『チョッパリ』(1970)などがある。

[古林 尚]

『『小林勝作品集』全5巻(1975~76・白川書院)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小林勝」の解説

小林勝 こばやし-まさる

1927-1971 昭和時代後期の小説家,劇作家。
昭和2年11月7日朝鮮晋州生まれ。昭和27年火炎びん闘争で逮捕される。反権力闘争をつづけながら,31年「フォード・一九二七年」を発表,芥川賞候補となる。35年「檻(おり)」で「新劇」戯曲賞(現岸田国士(くにお)戯曲賞)。日本人の差別意識をテーマにした作品がおおい。昭和46年3月25日死去。43歳。早大中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「小林勝」の解説

小林 勝 (こばやし まさる)

生年月日:1927年11月7日
昭和時代の小説家;劇作家
1971年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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