小林庄(読み)おばやしのしよう

日本歴史地名大系 「小林庄」の解説

小林庄
おばやしのしよう

逆瀬さかせ川下流域に位置した庄園で、現小林を遺称とする。養和元年(一一八一)一二月八日の後白河院庁下文案(新熊野神社文書)に京都新熊野いまくまの社領の一所として摂津国「小屋小林庄」とみえ、勅事・院事・役夫工などの諸役を免除されている。永暦元年(一一六〇)後白河法皇が院御所の鎮守として同社を建立して散在庄園を寄せているので(「百錬抄」同年一〇月一六日条など)、おそらくこのうちの一つであろう。本所はその後も同社であったが鎌倉時代に入ると小屋こや(現伊丹市)と当庄に分離し、さらに小林上・下両庄に分れた。

鎌倉時代から南北朝時代にかけて小林上庄の領家職勧修寺家伝領された。建長二年(一二五〇)六月二日、勧修寺資経は都護(資経長男為経)に小林上庄などを譲っている。


小林庄
こばやしのしよう

三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)城下しきのしも郡として「三十二小林庄竜花院三十七町五反七十二歩此内御領三町九反 四反七斗代黒田間田宗順房 一反但馬間田徳善 六石三斗一升七合 御米庄立用三斗 諸公事等 前節米御後見 一貫文同御後見」とみえる。興福寺大乗院領で、同寺竜花院が預所と考えられる。「御領」分は大乗院門跡のそれで、六石三斗余と関係するものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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