善峰寺と同じく、源算が長元年間(一〇二八―三七)にこの地に小庵を建立、阿弥陀像一躯を刻んで本尊とし、往生院と称したのが開創といい(雍州府志)、一説には承保元年(一〇七四)正月のことと伝える(「西山上人縁起」山城名勝志)。その後、応保元年(一一六一)法橋観性が仏眼曼荼羅および釈迦・弥陀像を安置して隠棲した。観性の幽居と往生院の号は、中山忠親が来訪して「山槐記」治承三年(一一七九)四月二七日条に記しており、確実なことと思われる。その後「此往生院ヲバ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
京都市西京区大原野石作町にある西山(せいざん)宗の本山。本尊は金身(こんしん)不動尊。1074年(承保1)天台宗の源算(げんさん)が善峯寺(よしみねでら)の北西に創建し、北尾往生院(おうじょういん)と名づけたのに始まる。第3世に慈円(じえん)が入寺しているが、本格的な発展は浄土宗西山派の祖証空(しょうくう)が第4世を継いでからである。証空は寺名を三鈷寺と改め、不断念仏会などの浄土の教えを広めた。1335年(建武2)勅命により天台・真言・律・浄土の四宗兼学の道場となって栄えたが、応仁(おうにん)の乱で諸堂や子院などが消滅。証空の滅後、その遺骸(いがい)を納めたことと、弟子たちが三鈷寺独特の戒律を継承したこともあって、浄土宗西山派となったが、現在は西山宗本山である。
[石上善應]
東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新