小林新田(読み)こばやししんでん

日本歴史地名大系 「小林新田」の解説

小林新田
こばやししんでん

[現在地名]三木市別所町小林べつしよちようこばやし・さつきだい二丁目・自由じゆう丘本町おかほんまち三丁目

興治おきはる新田の東の丘陵地にある。享保一三年(一七二八)に開発された新田。開発当初は幕府領であったが、延享元年(一七四四)大坂城代・出羽山形藩堀田氏領となる(「天保校訂紀氏雑録」日産厚生会佐倉厚生園蔵)。同三年上知され、天保一三年(一八四二)明石藩領となり幕末に至る(「御年譜」松平家蔵、旧高旧領取調帳)


小林新田
こばやししんでん

[現在地名]大正区小林東こばやしひがし二―三丁目・小林西こばやしにし一―二丁目・北村きたむら一―三丁目・千島ちしま二―三丁目・南恩加島みなみおかじま五丁目

千島新田の西にある。天保元年(一八三〇)四代目岡島嘉平次が開発に着手、同三年に完成、翌四年に検地高入された(西成郡史)。開発以降幕府領。天保一〇年の大坂湊口新田細見図によると、当時の所有者は京都麩屋町ふやちよう通五条の三文字屋庄三郎。


小林新田
こばやししんでん

[現在地名]木曾岬村小林

見入けんにゆう川埋立地の東、北に東対海地ひがしたいがんじ新田、西に西対海地新田、南に小和泉こいずみ新田、東に和泉新田がある。明暦元年(一六五五)尾張国海東かいとう郡の山田治郎左衛門の開発とする説(木曾岬村史)、同年同国知多ちた郡大橋六兵衛の開発とする説(桑名郡志)がある。


小林新田
こばやししんでん

[現在地名]東根市東根

みだれ川扇状地扇央部、南を村山野むらやまの川、北を白水しろみず川が西流する。大森おおもり山の北西六田ろくた村の南東に位置する。延宝三年(一六七五)東根村辻村四郎左衛門が下野国宇都宮藩から荒蕪地払下げを受け開墾したという。初め宇都宮藩領、天和元年(一六八一)陸奥白河藩領、寛保二年(一七四二)以降幕府領。


小林新田
こばやししんでん

[現在地名]本埜村小林

笠神かさがみ村の北にあり、西を将監しようげん川が北東流する。寛文一三年(一六七三)小林村(現印西市)笠神埜原かさがみやわらに新田を開発、うち四〇町余・二五〇石余を村請しうし新田と称して耕作した。残り二一一石余の大部分は入植者に売渡され、寛文一一年の国手形寺請状改書綴(吉植家文書)によると、入植者の出身地は武蔵国幸手領の者一三人、下総国庄内領・常陸国下妻領・同善間領各一人で、印西領からは小林村の源左衛門一人。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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