小治田安万侶墓(読み)おはりだのやすまろのはか

日本歴史地名大系 「小治田安万侶墓」の解説

小治田安万侶墓
おはりだのやすまろのはか

[現在地名]都村大字甲岡小字西畑

都水分(つげみくまり)神社の東南、甲岡(こうおか)の丘の南斜面にある。国史跡。明治四五年(一九一二)茶畑の植替え中に偶然発見され、昭和二六年(一九五一)の発掘調査により墓の構造がほぼ判明した。

墓は塚状の小封土を形成していたと伝えられている。遺構は一辺三・六メートルの正方形の墓壙とそれを覆う粘土層の封土からなり、墓壙の底面には玉石が敷かれていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の小治田安万侶墓の言及

【墳墓】より

…火葬墓には火葬地をそのまま墓地にした場合と,火葬地と墓地が別な場合がある。太安麻呂(おおのやすまろ)墓や小治田安万侶(おはりだのやすまろ)墓は前者で,威奈大村(いなのおおむら)墓は任地で火葬したものを本貫地に帰葬した例である。7世紀末から9世紀初めにかけての火葬墓には,まれに墓誌が伴う。…

※「小治田安万侶墓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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