朝日日本歴史人物事典 「小泉次大夫」の解説
小泉次大夫
生年:天文8(1539)
江戸初期の代官。名は吉次。今川義元の家臣植松泰清の長男(養子ともいう)。今川氏滅亡後,徳川家康に臣従し小泉姓を賜った。天正18(1590)年,関東入国後,武蔵国橘樹郡小杉陣屋(川崎市)を拠点に幕領を管轄する。慶長2(1597)年多摩川流域を巡見,右岸の二ケ領用水(川崎市),左岸の六郷用水(東京都)の測量を開始。同6年に稲毛・川崎代官に任ぜられた。10年,幕領のほか,私領の人夫を徴発する権限も与えられ,14年には両岸の用水本流工事を竣工,16年には小堀の分水工事も完了。この工事には女子を参加させたことで,俗に女堀ともいう。これらの功により開発地の10分の1が給与された。妙遠寺(川崎市)に夫妻の墓と明治期に建てられた功徳碑(1889)がある。<参考文献>小泉次大夫事績調査団編『小泉次大夫用水史料』,『太田区史』中
(村上直)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報