〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
福井県小浜市に鎮座。上・下両社よりなり,上社は同市竜前(りゆうぜん)にあって若狭彦神(彦火火出見尊のことと伝える)をまつり,下社は同市遠敷(おにゆう)にあって若狭比咩神(豊玉姫命のことと伝える)をまつる。《若狭国一宮縁起》で上社は715年(霊亀1),下社は721年(養老5)の創建と伝える。770年(宝亀1)朝廷より鹿毛馬1頭を奉納,806年(大同1)封戸10戸を納め,神階は859年(貞観1)若狭彦神が正二位に,若狭比咩神が従二位に叙せられた。延喜の制で2座ともに名神大社,のち両社あわせて若狭国一宮とされる。以後朝野の崇敬をうけ,ことに守護,領主,藩主がよく崇敬保護をした。旧国幣中社。例祭は上社10月10日,下社3月10日。社地内の遠敷川鵜瀬は,奈良東大寺二月堂若狭井に通ずる水源として信仰され,その御水取行事(修二会)に関連し,送水神事がある。
執筆者:鎌田 純一
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福井県小浜(おばま)市竜前(りゅうぜん)に鎮座。旧国幣中社。『延喜式神名(えんぎしきじんみょう)帳』に載る「若狭比古(ひこ)神社二座(名神大)」の一座で、上(かみ)社にあたり、天津彦火火出見尊(あまつひこほほでみのみこと)を祀(まつ)る。下(しも)社は若狭姫神社と称し、豊玉(とよたま)姫を祀る。両社あわせて若狭彦神社と称することもある。社伝(『若狭国鎮守十二宮縁起(えんぎ)』)によれば、715年(霊亀1)の創建で、以後『六国史(りっこくし)』等にその名がみえる。鎌倉初期には若狭国一宮(いちのみや)として当地の有力社であり、以後も朝野の崇敬を集めた。例祭は上社が10月10日、下社は3月10日である。宝物には「若狭国鎮守十二宮社務代々系図」や1303年(嘉元1)成立の「詔刀(のりと)次第」があり、ともに国の重要文化財。なお奈良東大寺の御水取にあたり、当地で送水神事が行われる。
[平泉隆房]
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