小深村(読み)おぶかむら

日本歴史地名大系 「小深村」の解説

小深村
おぶかむら

[現在地名]茂木町小深

山内やまうち村の西に位置し、南部を那珂川が東流し、西端を南流する木須きす川を合戸ごうど地区で合流する。貞和三年(一三四七)四月一五日の足利尊氏袖判下文(茂木文書、以下同文書は省略)に「茂木保除小深・小高倉両村」とみえ、当村と小高倉村を除いた茂木保が茂木知貞に勲功の賞として与えられている。両村が除外されたのは、この年、知貞が茂木保を与えられる際、那須資宿が茂木保内の二ヵ村を某四年九月に拝領したと主張したためである(年月日未詳茂木知貞申状案)。知貞は文和二年(一三五三)六月一〇日、訴訟により両村を取戻したうえで、当村は知久が相伝すべきであると遺命している(沙弥明阿置文案)。その後、幕府への運動が功を奏してか当村は茂木氏領となったが、延文四年(一三五九)、畠山国清に率いられて河内国の南朝攻めに参加している隙をねらって、那須遠江守(資旨か)が当村と小高倉村を押領、知久の兄知世はこれを幕府に訴え、同五年二月二七日、将軍足利義詮は、関東公方足利基氏にその処置を依頼している(足利義詮書状)


小深村
こぶかむら

[現在地名]河内長野市小深

太井おおい村の南東にあり、上小深かみこぶか・下小深に分れる。当地付近で川上かわかみ谷から千早ちはや(現南河内郡千早赤阪村)への道が分岐する。中世には観心寺かんしんじ庄七郷(村)の一で、永享九年(一四三七)一〇月日の南条盛成寄進状(観心寺文書)に「くわん心寺ほんたうきしんしたてまつるとうゆ田こふか」とみえる。文亀元年(一五〇一)一二月八日の観心寺七郷田数算用日記(同文書)には小深郷四反一八三歩(うち新田二反二九三歩)、同年とみられる観心寺七郷納帳(同文書)には小深五斗五升一勺が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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