小田代村(読み)こだしろむら

日本歴史地名大系 「小田代村」の解説

小田代村
こだしろむら

[現在地名]江刺市田原たはら

石山いしやま村の東に位置し、北上高地西端部の山間に立地。谷地形を小田代川・蒲道沢ぶどうざわ川が流れ、狭小な平地を形成している。南東境にある田原峠(標高六四〇メートル)阿原あばら(七八二・一メートル)の南西麓にあり、磐井いわい鳥海とりのみ(現東磐井郡大東町)へ至る道(鳥海道)が通じていた。天文一一年(一五四二)八月七日の葛西高信知行宛行状(及川文書)によれば、及川彦十郎(種村)は軍功の賞として高信から「江刺郡之内小田代五千苅」ほかを与えられている。天正一六年(一五八八)五月二〇日の葛西晴信知行宛行状(同文書)によれば、気仙けせん郡の浜田安房守などとの合戦の功により、及川左馬助は晴信から「小田代村之内五千苅」を加増され、六月三日佐藤又次郎が「江刺郡小田代二千苅」を与えられている(「葛西晴信知行宛行状写」同文書)。小田代及川氏は「仙台領古城書上」に「清水城 東西三十間南北二十間 城主小田代肥前」、「葛西真記録」に「小田代肥前 小田代村主」とみえる小田代氏と考えられ、清水しみず城にいて当地を支配した。


小田代村
こただいむら

[現在地名]大多喜町小田代

太田代おおただい村の北、養老ようろう川上流域右岸に位置する。集落の西方の月貫つきぬきにある小田代城跡は三方を養老川の絶壁に囲まれた要害の地で、土塁・空堀の一部が残る。太田代村との境の養老川に材木の筏流しや年貢米津出しに利用した坂下さかした河岸があった。元禄郷帳などでは筒森つつもり村枝郷とある。文禄三年(一五九四)九月二九日の伊保庄筒森村田畑縄打帳(永島家文書)に小田代村とみえ、田二町三反余・畑七町五反余、名請人一二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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