小石見郷(読み)こいわみごう

日本歴史地名大系 「小石見郷」の解説

小石見郷
こいわみごう

現浜田市中央部と現金城かなぎ町の一部にまたがる国衙領。古代の那賀郡石見いわみ郷の後身と考えられる。建武二年(一三三五)二月一二日の後醍醐天皇綸旨(益田家文書)に「石見国益田小石見両郷」とみえ、益田氏の本領として安堵されている。元暦元年(一一八四)一一月二五日の源範頼下文案(同文書)では藤原(益田)兼栄・兼高父子の所領としてみえる周布すふ郷の注記として郷名がみえるが、注記は後代の加筆と考えられる。また同二年六月日の源義経下文(益田家什書)に益田兼高の知行分として「益田庄小石見吉高吉光」とあるが、同文書は検討の余地がある。貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文には「よしたか」に対し「小石見同人知行」の注記があるが、これも後筆とみられる。建武三年一一月二六日には足利尊氏が益田氏から当郷などを没収して、本国(本圀)(跡地は現京都市下京区)に造営料所として寄進している(「足利尊氏寄進状」本圀寺文書)。暦応五年(一三四二)郷内の小石見城が足利氏勢の攻撃を受けた(同年六月一八日「逸見大阿代子息有朝軍忠状写」小早川家文書など)。文和元年(一三五二)一〇月六日の足利義詮寄進状(園城寺文書)によると、当郷などが近江園城おんじよう寺に造営料所として寄進されている。正平九年(一三五四)七月二二日には沙弥信性(三隅兼連)が郷内の安田あつた村・福井ふくい村ならびに葛原つたがはら畑地頭職を曾孫の千福に譲与している(「三隅信性譲状」閥閲録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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