小砂村(読み)こいさごむら

日本歴史地名大系 「小砂村」の解説

小砂村
こいさごむら

[現在地名]馬頭町小砂

高倉たかくら山を境に大山田上郷おおやまだかみごう・同下郷の西に位置する。南西端を那珂川が南流し、同川支流小口こぐち川の最上流域にあたる。奥州棚倉たなぐら(現福島県東白川郡棚倉町)黒羽くろばね大田原などへ向かう道が通り、那珂川縁には荷受河岸の広瀬ひろせ河岸があった。文安四年(一四四七)一〇月一四日の某山城等願文(米良文書)武茂むも郷内として寺名の載る曹洞宗東光寺があったが、明治一一年(一八七八)廃寺となった。

寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高(茨城高等学校図書館蔵)によれば高七六四石余。同二一年の知行割郷帳(水戸彰考館文庫蔵)では上郷(福原主膳ほか二名)中郷(朝倉小刑部ほか四名)本郷(陰山四郎兵衛ほか二名)三郷に分れ、それぞれ高は三九九石余(田方二八一石余・畑方一一七石余)、五九三石余(田方四一〇石余・畑方一八二石余)、二八七石余(田方一八二石余・畑方一〇五石余)


小砂村
こざれむら

[現在地名]大内町小砂

土居どい村の東に位置する。高尾たかお(三〇三・五メートル)の東麓に平地があり、東部はきた(二二六・三メートル)に続く丘陵地帯。志度しど街道が馬篠うましの峠を越えて当村東部を通り、土居どい村に通じていた。寛永国絵図では入野にゆうのや郷に含まれる。寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳では高一三三石余。年貢三本松さんぼんまつ御蔵に納めた。同一九年の小物成は綿一一八匁五分(高松領小物成帳)。文化一一年(一八一四)甘蔗作付面積二町一反(日下文書)、文政年間(一八一八―三〇)の砂糖絞車数七(「砂糖車数調帳」大内町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android