改訂新版 世界大百科事典 「小稲半兵衛物」の意味・わかりやすい解説
小稲半兵衛物 (こいなはんべえもの)
人形浄瑠璃,歌舞伎狂言の一系統。宝永(1704-11)ごろ,大津柴屋町の芸子小稲と稲野屋半兵衛が唐崎の松のほとりで情死したという巷説による作品群。小雛と書く作もある。脚色の初めは初世都一中が作曲演奏した《唐崎心中》。舞台では歌舞伎で1766年(明和3)7月京の小川吉太郎座(北側の芝居)《琵琶湖八景文談(びわのうみはつけいぶんだん)》が,人形浄瑠璃で1768年10月に大坂阿弥陀池門前芝居で田中後調作《傾城浪花をだ巻》,11月に阿弥陀池東ノ芝居で八民平七作《小いな半兵衛 廓色上(さとのいろあげ)》が相ついで初演。《廓色上》は町人上がりの武士稲野谷半兵衛が情人小稲のことから堤弥藤次を殺し,許嫁おみきへの義理から小稲と心中する話で,歌舞伎にも移され,この系統の基礎になった。その後,主な作は83年(天明3)の奈河七五三助(しめすけ)作《優然染(ゆうぜんぞめ)座敷八景》,97年(寛政9)の並木五瓶作《月武蔵野龝狂言(つきのむさしのあきのせわごと)》(富本《道行恋思荷(こいのおもに)》),1844年(弘化1)の3世桜田治助作《宵庚申後段献立(ごだんのこんだて)》(道行が常磐津《千種野恋の両道(ちぐさののべこいのふたみち)》で曲・振りとも現存)など。4世鶴屋南北は1821年(文政4)の《三賀荘(さんがのしよう)曾我嶋台》や26年の《曾我中村龝取込(あきのとりこみ)》のほか,有名な《桜姫東文章》にも〈小稲半兵衛〉を扱っている。また,大森痴雪作《恋の湖》(1918年12月京都南座)は《廓色上》の改作で初世中村鴈治郎が得意とし,玩辞楼十二曲の一つに入れられた。
執筆者:松井 俊諭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報