奈河七五三助(読み)ながわしめすけ

精選版 日本国語大辞典 「奈河七五三助」の意味・読み・例文・類語

ながわ‐しめすけ【奈河七五三助】

  1. 歌舞伎脚本作者初世大坂の人。号は洗口明和一七六四‐七二)の頃、奈河亀輔の門にはいり活躍。一時江戸に下り、桜田治助らと合作。のち帰坂。作品に「隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)」「いろは仮名四十七訓(よみ)」など。宝暦四~文化一一年(一七五四‐一八一四

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関連語 近松八十翁

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奈河七五三助」の解説

奈河七五三助(初代) ながわ-しめすけ

1754-1814 江戸時代中期-後期の歌舞伎作者。
宝暦4年生まれ。大坂道頓堀の茶屋福新の子。初代奈河亀輔(かめすけ)の門にはいり,天明元年大坂中の芝居立作者(たてさくしゃ)となる。京坂で活躍したほか,江戸へも3度いった。文化11年10月20日死去。61歳。幼名新次郎通称金次郎俳名は洗口。作品に「隅田川続俤(ごにちのおもかげ)」「いろは仮名四十七訓(もじ)」など。

奈河七五三助(3代) ながわ-しめすけ

?-? 江戸時代後期の歌舞伎作者。
2代奈河七五三助の門人。大坂の宮地芝居をへて文政のはじめごろ浜芝居に転じて,5年ごろに立作者(たてさくしゃ)となった。天保(てんぽう)4年(1833)京都北側の芝居にうつり,翌年南側の芝居で3代七五三助を襲名。前名は奈河一点,近松市郎兵衛,柳市郎兵衛,柳一良瓶。作品に「いろは文字読切講釈」など。

奈河七五三助(2代) ながわ-しめすけ

?-? 江戸時代後期の歌舞伎作者。
初代奈河七五三助の門弟。文化のはじめごろから大坂浜芝居などの立作者(たてさくしゃ)として活躍し,文化13年(1816)京都北側の芝居で2代七五三助を襲名。前名は奈河十八助(初代)。後名は奈河竹葉(初代)。作品に「撰集善光寺(おがませぜんこうじ)」「敵討御堂前(かたきうちみどうのまえ)」など。

奈河七五三助(4代) ながわ-しめすけ

近松八十翁(ちかまつ-やそおう)

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世界大百科事典(旧版)内の奈河七五三助の言及

【隅田川続俤】より

…4幕7場。作者は奈河七五三助(ながわしめすけ)。初演は1784年(天明4)5月大坂藤川菊松座(角の芝居)。…

【近頃河原達引】より

…1782年(天明2)春江戸市村座,次いで85年5月大坂堀江角力場(中村粂太郎座)で歌舞伎化。大坂の折の作者は為川宗輔,筒井半二,奈河七五三助(ながわしめすけ)。以後,これも〈堀川〉の場を中心に人気の高い出し物となっている。…

【富士浅間物】より

…83年(天明3)10月の松貫四(まつかんし)作《内(うち)百番富士太鼓》は珍しく江戸の肥前座初演である。歌舞伎では1758年(宝暦8)3月江戸市村座の壕越二三治(ほりこしにそうじ)作《恋染隅田川(こいぞめすみだがわ)》や,73年(安永2)7月中村座の中村重助作《傾城片岡山(けいせいかたおかやま)》などが古く,上方では1808年(文化5)8月大坂角の芝居の奈河七五三助(ながわしめすけ)作《復讐高根鼓(かたきうちたかねのたいこ)》が決定版的な作品として知られ,その後もいくつかの作品が登場したが,現在はほとんど上演されない。【井草 利夫】。…

※「奈河七五三助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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