朝日日本歴史人物事典 「少弐資元」の解説
少弐資元
生年:延徳3(1491)
戦国時代の武将。大宰少弐。法名は心月本了。政資の子,高経の弟。近世の史書によると,大友政親の女婿。明応6(1497)年4月19日に政資,高経が大内氏のために自殺し,少弐氏の家督を継ぐことになった。同9年,足利義尹が周防(山口県)の大内義興のもとに下向すると,これと対立していた将軍足利義澄は,3月30日,資元に対して,大友親治に相談して幕府に忠節を尽くすよう命じた。文亀1(1501)年,資元の軍勢は,大友勢と共に大内氏の豊前馬ケ岳城(福岡県行橋市)を攻めたが,敗れた。その後もたびたび大内勢と戦ったが,筑前(福岡県)を回復することはできず,享禄1(1528)年に,子の松法師丸(冬尚)に家督を譲ったという。天文5(1536)年9月4日,大内氏に攻められ,肥前多久(佐賀県多久市)において自殺した。なお,永正1(1504)年3月に肥前河上社を修復している。
(佐伯弘次)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報