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少弐資元 しょうに すけもと

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

少弐資元 しょうに-すけもと

1491-1536 戦国時代の武将。
延徳3年生まれ。少弐政資の子。肥前勢福寺城(佐賀県)を拠点として勢力を拡大,大友氏とむすんで大内氏と戦いをくりかえした。天文(てんぶん)5年9月4日大内氏に攻められ,肥前多久城で自刃(じじん)した。46歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

少弐資元

没年:天文5.9.4(1536.9.19)
生年:延徳3(1491)
戦国時代の武将。大宰少弐。法名は心月本了。政資の子,高経の弟。近世の史書によると,大友政親の女婿。明応6(1497)年4月19日に政資,高経が大内氏のために自殺し,少弐氏の家督を継ぐことになった。同9年,足利義尹が周防(山口県)の大内義興のもとに下向すると,これと対立していた将軍足利義澄は,3月30日,資元に対して,大友親治に相談して幕府に忠節を尽くすよう命じた。文亀1(1501)年,資元の軍勢は,大友勢と共に大内氏の豊前馬ケ岳城(福岡県行橋市)を攻めたが,敗れた。その後もたびたび大内勢と戦ったが,筑前(福岡県)を回復することはできず,享禄1(1528)年に,子の松法師丸(冬尚)に家督を譲ったという。天文5(1536)年9月4日,大内氏に攻められ,肥前多久(佐賀県多久市)において自殺した。なお,永正1(1504)年3月に肥前河上社を修復している。

(佐伯弘次)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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