日本歴史地名大系 「尻内村」の解説
尻内村
しりうちむら
- 青森県:八戸市
- 尻内村
八戸城下の西、
建武元年(一三三四)の多田貞綱書状(遠野南部文書)に「一戸工藤四郎左衛門入道跡 同子息左衛門次郎跡 八戸上尻打」とあり、当村の「上尻打」が工藤四郎左衛門の子工藤左衛門次郎の所領から南部師行・戸貫出羽前司・河村又二郎の共預地となっている。同年七月には伊達大炊助三郎次郎光助に新給された(「北畠顕家国宣」同文書)。永禄(一五五八―七〇)の頃には櫛引氏の所領とされていたが、元亀二年(一五七一)の戦いにより根城南部氏領に編入されたという(「南部八戸家系」南部家文書)。文禄(一五九二―九六)の頃と推定される七月二七日付俊恕書状(遠野南部文書)には「丞殿文詞届申候可申候而可預之 先度ハ尻内まて御送中く過分之由頼入候」とあり、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報