日本歴史地名大系 「尾生村」の解説 尾生村おぶむら 大阪府:岸和田市尾生村[現在地名]岸和田市尾生町・北阪(きたさか)町下松(しもまつ)村の東、八田(はつた)川(春木川の上流)流域に位置する。八田川が村の東部を北流し、轟(とどろき)川(春木川の上流)となって額原(がくはら)村へ入る。牛滝(うしたき)街道が村の南部を北西に斜走し、やがて土生滝(はぶたき)村・土生村との村境を通る。村高は古検高九二八石余(「岸和田御領分中古高今高仕出帳」鬼洞文庫蔵)。正保二年(一六四五)は一千一三三石余(「和泉国村高帳」同蔵)。元文五年(一七四〇)の泉州四郡村々高付帳(荒木家文書)では一千二一九石余。 尾生村おうむら 高知県:長岡郡大豊町尾生村[現在地名]大豊町尾生吉野川北岸磯谷(いそだに)村の西にあり、南は吉野川を挟んで穴内(あなない)村。「土佐州郡志」は「於々宇」と読む。本山(もとやま)郷の一村。天正一七年(一五八九)の本山郷地検帳に「尾生名」とみえ、検地面積三町八反一〇代二(ママ)歩、うち田分三反三三代二歩、畠分一町七反二八代二歩、屋敷数一七で一町六反四八代二歩。公事分と名本分からなる。同年の本山郷高山切畑地検帳によれば六筆二反四五代に大麦が作られている。天和三年(一六八三)一一月一五日付御留山改帳(「日本林制史調査史料」所収)によると村内に留山があり、名本が留山の山守役を兼務し、百姓三人役を給せられていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by