山中邸跡(読み)やまなかやしきあと

日本歴史地名大系 「山中邸跡」の解説

山中邸跡
やまなかやしきあと

[現在地名]水口町宇田

宇田うつた集落の中ほど、清水しようずに位置。現在単郭方形の土塁と堀の一部を残す。甲賀郡山中(現土山町)地頭であった山中氏柏木かしわぎ御厨の代官職を得て、屋敷を構えたのが始めで、以後代々の居館であった。永正四年(一五〇七)細川澄元が京都の戦乱を逃れて本邸に寓居した(「多聞院日記」同年六月二六日条)。山中氏は橘諸兄の後裔といい、義清の代に山中を名乗った。建久五年(一一九四)鎌倉幕府は山中俊直に鈴鹿山守護沙汰と盗賊鎮圧を命じており、これ以前に俊直は鎌倉御家人であったとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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