山内寺跡
やまうちじあと
[現在地名]野田町下名
下名の熊野神社大鳥居の周辺一帯を寺跡とする。明治初年の廃仏毀釈で廃寺となった天台宗寺院で、亀翁山西性院と号し、本尊は阿弥陀如来であった。開山は播磨国書写山(現兵庫県姫路市)を開いたことで知られる性空(寛弘四年没)と伝え、往時は西光寺と号し、天台宗の法談所として九州の一山に建つ寺院であったという。島津忠久が初めて薩摩に下った折に当寺にしばらく滞在、このとき寺領八町・寺戸一二所・支院一二を寄進して再建、祈願所としたと伝える(以上「三国名勝図会」)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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