日本歴史地名大系 「野田町」の解説
野田町
のだまち
- 千葉県:野田市
- 野田町
現市域の西部やや南寄りに位置し、日光東往還の
天正一八年徳川家康が関東に入国すると、下総・上総で一万二千石を与えられた岡部長盛が山崎に入部し、当地は岡部氏の支配下に入った。文禄二年(一五九三)二月二〇日岡部康綱は野田名主・百姓に法度(渡辺家文書)を発している。同法度によると田は六ツ半取、畠は三ツ取、前年までの不作場を再開発した場合は田は三ツ取、畠は一ツ半取とし、退転した者が郷に帰れば過分の未進があっても赦免とすることなどを定めて百姓の帰郷を画策している。同四年には当地の「市宿」に来た者には諸役を免除し、新規に切起した田畑は一〇ヵ年間の年貢免除、荒田畑の再開発は五ヵ年間の年貢免除とし、年貢未進での欠落百姓も市宿に帰った場合は旧地頭からの督促はないものとすることなどが定められている(一〇月二八日「岡部長盛定書写」同文書)。市宿はさらに慶長三年(一五九八)から同九年までも諸役免除とされている(三月二一日「岡部長盛定書写」同文書)。
野田町
のだちよう
- 鹿児島県:出水郡
- 野田町
島嶼部を除いた出水郡の西半を占める。東は北流する野田川を境に
野田町
のだまち
野田町
のだまち
野田町
のだまち
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報