野田町(読み)のだまち

日本歴史地名大系 「野田町」の解説

野田町
のだまち

[現在地名]野田市野田・上花輪新町かみはなわしんまち

現市域の西部やや南寄りに位置し、日光東往還の山崎やまざき宿から分岐して同往還の西寄りを北上する道が通る。古くは宿として機能し、また近郷の流通の中心地として市が立ち早くから町場も形成されていたと考えられる。町場はのちにかみ町・中町(仲町)・下町などに分れた。さらにかつての野田は周辺の清水しみず村・堤台つつみだい村・中野台なかのだい村・上花輪村など近世の村切によって分村成立した村々をも含んでいたと思われ、また東方には荘内しようない牧の広大な原地が広がっていた。しかし同牧の原地は寛文年間(一六六一―七三)に開発され、延宝元年(一六七三)には柳沢やなぎさわ新田・堤根つつみね新田など多くの新田村が検地高入れされて成立、これら新田諸村は野田新田と総称されていた。近世には醸造業が盛んで、とくに醤油は江戸時代後半から銚子と並んで江戸市場への一大供給地となっている。天正三年(一五七五)二月一六日の某朱印状(渡辺家文書)に野田とみえ、当地を同年から七年間不入とし、百姓の召返しが図られている。

天正一八年徳川家康が関東に入国すると、下総・上総で一万二千石を与えられた岡部長盛が山崎に入部し、当地は岡部氏の支配下に入った。文禄二年(一五九三)二月二〇日岡部康綱は野田名主・百姓に法度(渡辺家文書)を発している。同法度によると田は六ツ半取、畠は三ツ取、前年までの不作場を再開発した場合は田は三ツ取、畠は一ツ半取とし、退転した者が郷に帰れば過分の未進があっても赦免とすることなどを定めて百姓の帰郷を画策している。同四年には当地の「市宿」に来た者には諸役を免除し、新規に切起した田畑は一〇ヵ年間の年貢免除、荒田畑の再開発は五ヵ年間の年貢免除とし、年貢未進での欠落百姓も市宿に帰った場合は旧地頭からの督促はないものとすることなどが定められている(一〇月二八日「岡部長盛定書写」同文書)。市宿はさらに慶長三年(一五九八)から同九年までも諸役免除とされている(三月二一日「岡部長盛定書写」同文書)


野田町
のだちよう

面積:三〇・六〇平方キロ

島嶼部を除いた出水郡の西半を占める。東は北流する野田川を境に高尾野たかおの町および出水市の飛地しよう地区、南は薩摩郡東郷とうごう町、西は阿久根市、北西は高尾野町の飛地江内えうち地区に接する。町域は東西五キロ、南北一二・七キロと南北に細長く、南部は出水(紫尾)山系の山岳地帯となっている。この山地の北斜面は急斜面であるが、標高一二〇メートル辺りからは緩やかな傾斜となり、田園地帯が広がる。町役場などのある中心集落は、沖積低地より一段高い扇状地上に形成される。西部は数メートルの礫層に覆われた丘陵性台地で、谷がよく発達し、みかん園が多く分布する。最低標高は二メートルで、海岸線をもたないが、農耕地には恵まれた町である。北端部を国道三号が東西に走る。


野田町
のだまち

[現在地名]都島区かた町二丁目

鯰江なまずえ川に沿って延びる狭長な町で、大坂三郷北組東端に位置し、北は野田村に接する。鯰江川に架かる京街道の野田橋が町西端で、同街道沿いに家並が続き、「宝暦町鑑」には「京ばし北詰より上の野田ばし北詰を上ル丁」と記す。明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図では、町域の東部坂口さかぐち町とされている。この町は初発言上候帳面写によるとのちに野田町に合併され、貞享四年(一六八七)新撰増補大坂大絵図では記されない。


野田町
のだまち

[現在地名]山口市大字野田

山口町の東北、七ッ尾ななつお山の南麓に続く辺りを占める町で、山口古図によれば、大内御殿(築山館)の南側を東西に通る道を東に延ばした辺りに野田町とあり、この通りに面した両側町であったかと思われる。町の西寄りで八幡やわた馬場が直角に交わり、通りの東は宮野桜畠みやのさくらばたけ村の江良えらに至る。「注進案」では「今八幡石壇の下、西の横筋なり」としており、山口古図もその辺りに「野田家氏」の文字を記す。

町名の由来は「注進案」に「大内殿限有衆名記といへるものに、親族家来の部に野田兵部あり、また侍大将先手衆の部に野田主計頭あり、これ等の居宅ありし所歟」とある。


野田町
のだまち

[現在地名]中区新栄しんさかえ一丁目

東瓦ひがしかわら町のうち禅寺ぜんでら町の方へ出る横筋。「尾張志」によれば明和二年(一七六五)・安永二年(一七七三)の両度に町屋となった。前津小林まえづこばやし村の田面の字を取って町名とした(府城志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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