20世紀日本人名事典 「山口仙之助」の解説
山口 仙之助
ヤマグチ センノスケ
- 生年
- 嘉永4年5月5日(1851年)
- 没年
- 大正4(1915)年3月25日
- 出生地
- 相模国橘樹郡大根村(神奈川県横浜市)
- 旧姓(旧名)
- 大浪
- 経歴
- 医者大浪昌随の五男で、10歳の時山口家の養子となり、江戸浅草の小幡塾で漢学を学ぶ。17歳で明治維新を迎え横浜に帰った。明治4年志を立てて単身渡米した際、欧米派遣特使岩倉具視一行と同船し、一行のメンバー浜尾新を知り、後年その知遇を受けた。8年後帰国、慶応義塾に入るがまもなく辞め、11年箱根宮の下の富士屋旅館を買収して富士屋ホテルと改め、外国人宿泊を専門とする本格的ホテルを創始、一代で全国屈指の大ホテルへと発展させた。開業当時狭くて不便だった箱根山の各温泉の道路を私財を投じて改良、19〜20年塔沢・宮の下間1里16町、幅員3間余りの車道を完成させた他、箱根発展のため各方面に活躍した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報