日本歴史地名大系 「山崎津」の解説
山崎津
やまさきのつ
長岡京遷都とともに水陸交通の要地として山崎の位置は重要になり、山崎橋が架けられたが、長岡京造営物資の陸揚地として、山崎津が営まれたと思われる。延暦六年(七八七)八月二四日、桓武天皇は「高椅津」に行幸し、帰途大納言藤原継縄宅に立ち寄ってその室百済王明信を従三位に叙している(「続日本紀」同日条)が、高椅は山崎橋で、高椅津はその袂にあった山崎津であろう。大同元年(八〇六)九月二三日には、使を遣わして左右京および山崎津、
山崎津
やまさきのつ
山崎にあった淀川の古代の港津。淀川水系の水上交通の要地であった山崎は、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報