山崎渡
やまさきのわたし
[現在地名]島本町山崎
山崎と淀川対岸の、山城石清水八幡宮境内の橋本(現京都府八幡市)を結んだ。橋本渡ともいい、石清水八幡宮の灯油を運ぶ用途が主であったため、灯油渡・灯明渡の別称もあった。また淀川の右岸、すなわち当地を通る山陽道(西国街道)と左岸を通る街道を結ぶ交通手段としても重要で、関が立てられることもあった。なお山崎の西に位置する広瀬と橋本の金川を結ぶ渡しもあり、これを橋本下渡というのに対し、当渡を橋本上渡ともよんだ。神亀二年(七二五)行基によって架設された山崎橋はこの辺りにあったともいわれる。山崎橋は架設・流失を繰返した末断絶したが、その後に開かれたのが当渡という。その時期は明らかにしがたいが、「男山考古録」は「山崎離宮八幡宮社人より灯油奉献の事者、貞観の昔より連綿せる事にて、今に於ても絶る事なく、又淀川筋船渡し内にても、当渡しは殊更に往古よりの事なり」と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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