山崎 猛
ヤマザキ タケシ
- 肩書
- 衆院議長,内相,運輸相,民主自由党幹事長
- 生年月日
- 明治19年6月15日
- 出生地
- 茨城県水戸市
- 学歴
- 一高中退
- 経歴
- 朝鮮併合後の明治43年、徳富蘇峰の招きで京城日報に入り、後大連に移って満州日報の社長に。大正9年埼玉県から衆議院議員に当選。終戦後は日本自由党に入党し、昭和21年三木武吉が公職追放されたあと、衆院議長を務める。23年に民主自由党の結成に参加して同党幹事長となり、芦田内閣総辞職後、民主党から次期首班候補に推されたが、益谷秀次の説得で辞退、議員を辞した。のち第3次吉田内閣の運輸相、国務相、経済審議庁長官を歴任する。当選10回。
- 没年月日
- 昭和32年12月27日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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山崎 猛
ヤマザキ タケシ
大正・昭和期の政治家 衆院議長;内相;運輸相;民主自由党幹事長。
- 生年
- 明治19(1886)年6月15日
- 没年
- 昭和32(1957)年12月27日
- 出生地
- 茨城県水戸市
- 学歴〔年〕
- 一高中退
- 経歴
- 朝鮮併合後の明治43年、徳富蘇峰の招きで京城日報に入り、後大連に移って満州日報の社長に。大正9年埼玉県から衆議院議員に当選。終戦後は日本自由党に入党し、昭和21年三木武吉が公職追放されたあと、衆院議長を務める。23年に民主自由党の結成に参加して同党幹事長となり、芦田内閣総辞職後、民主党から次期首班候補に推されたが、益谷秀次の説得で辞退、議員を辞した。のち第3次吉田内閣の運輸相、国務相、経済審議庁長官を歴任する。当選10回。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
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山崎猛 やまざき-たけし
1886-1957 大正-昭和時代の政治家。
明治19年6月15日生まれ。大正9年衆議院議員(当選10回)。昭和21年帝国議会最後の衆議院議長となる。23年民主自由党幹事長にえらばれ,GHQ民政局の介入で芦田内閣総辞職後の首相候補となるが,説得されて辞退(山崎首班事件)。のち第3次吉田内閣の運輸相,国務相。昭和32年12月27日死去。71歳。茨城県出身。第一高等学校中退。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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山崎 猛 (やまざき たけし)
生年月日:1886年6月15日
大正時代;昭和時代の政治家。衆院議長;内相;運輸相;民主自由党幹事長
1957年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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