山崎覚次郎(読み)ヤマザキ カクジロウ

20世紀日本人名事典 「山崎覚次郎」の解説

山崎 覚次郎
ヤマザキ カクジロウ

明治〜昭和期の経済学者 東京帝国大学名誉教授



生年
慶応4年6月15日(1868年)

没年
昭和20(1945)年6月28日

出身地
静岡県

学歴〔年〕
帝大法科大学(現・東大法学部)政治学科〔明治22年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔明治38年〕

経歴
大学院を経て、明治24年ドイツ留学、28年帰国。工科大学農商務省に勤め、東京高商教授、掛川銀行取締役などを歴任。35年東京帝大法科大助教授、39年教授となった。大正8年法学部より独立した経済学部に勤め、9〜12年経済学部長。一方日本社会政策学会の指導者として活躍。昭和4年定年退職、名誉教授。6年中央大経済学部長兼商学部長、14年中大理事、日本銀行顧問。18年金融学会初代理事会長。明治末からの貨幣論、金融論の大御所的存在だった。著書に「貨幣銀行問題一班」「限界効用学説史」、訳書に「大工業論」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山崎覚次郎」の意味・わかりやすい解説

山崎覚次郎
やまざきかくじろう

[生]慶応4(1868).6.15. 静岡
[没]1945.6.28.
経済学者,貨幣・銀行論研究家。 1889年東京大学法科大学政治科卒業,91~95年ドイツ留学,97年東京高等商業学校 (現一橋大学) 教授を経て 1902年母校助教授,以後 29年まで法学部,経済学部で講じ,この間 13年には帝国学士院会員となる。 31年中央大学へ移り経済学部長,39年理事となり,日本銀行顧問もつとめる。日本の経済学の自立期に貨幣・銀行理論,経済理論面で活躍,日本社会政策学会設立者の一人であり,母校の経済学部独立を推進し,日本金融学会 (1943創立) 初代会長となる。主著『貨幣銀行問題一斑』 (12) ,『経済原論』 (17) など著書,論文多数。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「山崎覚次郎」の解説

山崎覚次郎

没年:昭和20.6.28(1945)
生年:明治1.6.15(1868.8.3)
静岡県出身。東京帝大経済学部教授,学部長。帝大卒。専攻は貨幣・銀行論。ドイツ留学のあと,名目的貨幣学説を提出して貨幣理論研究に一時代を画した。限界理論,特にオーストリア学派のそれに立脚する。<著作>『貨幣銀行問題一斑』『限界効用学説史』<参考文献>荒木光太郎「故山崎覚次郎博士とその学説」(『東京大学経済学論集』1946年5月号),『東京大学百年史 部局史1』

(藤井隆至)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山崎覚次郎」の解説

山崎覚次郎 やまざき-かくじろう

1868-1945 明治-昭和時代前期の経済学者。
慶応4年6月15日生まれ。貨幣論,金融論を研究し,明治39年母校東京帝大の教授,のち経済学部長。社会政策学会で指導的役割をはたし,退官後は中央大教授,日銀顧問,金融学会初代理事会長をつとめた。昭和20年6月28日死去。78歳。遠江(とおとうみ)(静岡県)出身。著作に「貨幣銀行問題一斑」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「山崎覚次郎」の解説

山崎 覚次郎 (やまざき かくじろう)

生年月日:1868年6月15日
明治時代-昭和時代の経済学者。東京帝国大学経済学部長
1945年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android