百科事典マイペディア 「社会政策学会」の意味・わかりやすい解説
社会政策学会【しゃかいせいさくがっかい】
→関連項目ヒルデブラント
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ドイツ社会政策学会をモデルとして設立された政策提言的指向の強い学会。1896年(明治29)金井延(のぶる)・桑田熊蔵・高野岩三郎らを中心に結成。1907年から公開全国大会を開催。労働問題だけでなく,小農・中小企業・関税など当時の日本経済の直面する問題をとりあげ,社会的影響力は大きかった。国家主義的な右派と自由主義的な左派から構成され,しばしば激しい論争がなされた。第1次大戦後,マルクス主義の影響が増大するなかでしだいに影響力を失い,24年(大正13)第18回大会を最後に自然消滅した。
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社会問題を研究し社会政策を推進するために,シュモラー,ヴァーグナー,ブレンターノらドイツの新歴史学派の経済学者が結成した協会(1872~1936年)。自由放任主義に反対し,講壇社会主義と呼ばれた。
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…社会政策という言葉がどのような領域の政策を指しているかということに即していえば,さしあたり,労働組合立法など労使関係にかかわる政策を基軸とし,工場法をはじめとする労働者の労働条件にかかわる政策,さらには救貧立法から社会保障制度にいたる国民の生活保障にかかわる政策などを包含するものといってよい。
[社会政策の諸理論]
もともと社会政策という言葉は1872年ドイツで創立された社会政策学会に結集した新歴史学派(〈歴史学派〉の項参照)の経済学者,A.H.G.ワーグナー,G.シュモラー,L.ブレンターノなどによって喧伝(けんでん)されるようになったもので,そこでは,ドイツの急速な資本主義化にともなう階級対立の深刻化と社会主義運動の勃興による社会革命への危惧にもとづいて,階級利害を超越した国家が経済に介入し分配的正義を実現しなければならないと主張された。つまり,新歴史学派による社会政策の勧めは,現存の資本主義体制を容認しつつ,自由主義に反対し社会主義にも反対するという社会改良の主張にほかならなかった。…
…最初生地の官吏となるが関税政策を批判して罷免され,1864年ハレ大学の経済学教授になり,シュトラスブルク大学を経て,82年ベルリン大学教授となって1913年まで在職。プロシア政府に重んじられて大学内外で行政上の要職につく一方,1872年社会政策学会を設立・主導し,また《シュモラー年報》(ただし,この名称は後年つけられたもの。1871創刊)ほか数種の定期刊行物を編集してドイツ社会科学界に重きをなした。…
…処女作《現代の労働組合》2巻(1871‐72)は,エンゲルとのイギリス旅行で収集した資料をもとに著されたものである。社会政策学会の創立(1872)に参画し,G.vonシュモラーやA.H.G.ワーグナーらとともにその主要メンバーとなるが,彼らのなかでは左派に位置し,いわば下からの社会改良を目ざしたところに彼の特徴がある。労働者の団結の自由を主張し,弱い立場にある労働者が組合をつくって一つの力となったときに初めて,ほんとうの意味での自由競争が出現すると考えた。…
…アメリカではイリーR.T.Ely(1854‐1943)が,イタリアではコッサL.Cossa(1831‐96)がその中心となって導入の労をとった。ちなみにイリーの尽力で1885年創設されたアメリカ経済学会はドイツの社会政策学会を範としたものである。日本では97年に社会政策学会が設立されるに及んで歴史学派は急速に普及し,明治・大正時代を通じて歴史学派は経済学の主流となった。…
※「社会政策学会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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