このことばの使い方は広く、時代により内容も異なる。江戸中期から使われていることばであるが、江戸の海の魚貝類に対しての特称としての用い方よりは、ウナギに対して用いたほうが古く、また江戸後期でもだいたいそのほうに重点があった。宝暦(ほうれき)年間(1751~64)に出された『風流志道軒伝(しどうけんでん)』には、「厭離(えんり)江戸前大樺焼(おおかばやき)」ということばが出ている。また江戸末期に、京都の文人であり、芝居の狂言作者でもある西沢一鳳(いっぽう)が、江戸にきて、江戸の人と話をしていたおり、江戸前ということばが出た。関西人の一鳳にはその場所が明らかでないので問いただすと、江戸前とは大川の西、お城の東という説明をされたという。いまの築地(つきじ)から鉄砲洲(てっぽうず)にかけての地区であり、そこでとれたウナギを江戸前といっていたのである。当時ウナギの蒲焼(かばや)き屋が現在の銀座4丁目付近に多かったのは、ウナギの漁場が近かったためであろう。江戸時代の錦絵(にしきえ)に出ている蒲焼き屋の有名店には、行灯(あんどん)や看板に単に「江戸前」としか書いてないが、一般店は江戸前と肩書きし、大蒲焼きと書いてある。要するに江戸時代末のころでも、江戸前とはウナギの意としての用い方に比重が大きくかかっていたとみられる。
また1801年(享和1)に刊行された『比翼衆』には「かれいとくろだいがござります」「そりゃ江戸前だろう」ということばが出てくるように、芝浦、品川あたりの江戸の海の魚貝類を江戸前といったこともある。なお、当時江戸前のことばの意味は、味のいい意も含むが、鮮度のいい意も多く含まれ、江戸前のウナギに対して、埼玉県草加(そうか)あたりから持ってくるものを「旅の物」と称していた。江戸前のことばは明治以降あまり用いられなくなったが、大正の中ごろすし屋が東京近海の魚を用いている意で使い始め、ふたたび使われてきた。その表現する海域は、東京中心に、比較的広い範囲の意になっている。
[多田鉄之助]
江戸の目の前の場所の意で,ふつう東京湾内奥のその海でとれた新鮮な魚類をいい,転じて,生きのよい江戸風の事物をいうようになった。現在では握りずしの種の鮮度を誇示する語として,もっぱらすし屋がこれを用いている。しかし,《物類称呼》(1775)には〈江戸にては,浅草川,深川辺の産を江戸前とよびて賞す,他所より出すを旅うなぎと云〉とあり,《江戸買物独案内》(1824)を見ると,江戸前,江戸名物などととなえているのはすべてウナギ屋で,すし屋はほとんどが御膳と称している。ちなみに,握りずしは文政年間(1818-30)ころ江戸両国の与兵衛ずしが売り始めたもので,その人気が高まるにつれ,ウナギ屋にとってかわってすし屋が江戸前を称するようになったものである。
執筆者:鈴木 晋一
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…橘樹郡では塩,荏原郡,葛飾郡の村の記事の中には海苔があげられている。豊島郡であげている鰻は,芝浦,築地鉄砲洲,浅草川(隅田川),深川辺で漁獲するものを〈江戸前〉と称し,ことに喜ばれたという。海産物に対して浅草川のウナギ,シラウオ,荒川のコイ,江戸川のコイ,フナ,ウナギ,ナマズ,中川のシラウオ,フナ,ウナギ,ナマズなどの川魚があげられている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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