日本歴史地名大系 「山王海」の解説 山王海さんのうかい 岩手県:紫波郡紫波町土館村山王海[現在地名]紫波町土館紫波町西部、滝名(たきな)川上流の山間に位置。升沢(ますざわ)の志和(しわ)稲荷神社から稲荷坂と称する山道を約三キロ登り、国見(くにみ)山(五〇〇メートル)と烏帽子形(えぼしがた)山(四六〇メートル)の間を抜けた、四周を山に囲まれた馬蹄形の小盆地。土館(つちだて)から新(にい)山(五五二・三メートル)を越え黒(くろ)沢の渓谷を経る小道もある。天正(一五七三―九二)の頃、当地を支配していた土豪山王海左衛門太郎は斯波氏の旧臣で、盆地の西部小清水(こしみず)に山王海館(別称太郎館)を築いたとされる。遺構として南北の郭、土塁・空堀がみられる。天正一六年南部信直の攻略によって高水寺(こうすいじ)城を支えきれなくなった斯波孫三郎詮直は、当地に逃れ潜伏したという(聞老遺事)。慶長五年(一六〇〇)の岩崎一揆が起きたとき、「奥南旧指録」に「志和孫三郎山王海に忍び居けるがこの騒動を幸として(中略)長岡の城へ取懸りける」とあるように再興を図ったが、大萱生(おおがゆ)(現都南村)に落ちて滅んだと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by