20世紀日本人名事典 「山田乙三」の解説
山田 乙三
ヤマダ オトゾウ
明治〜昭和期の陸軍大将 関東軍総司令官。
- 生年
- 明治14(1881)年11月6日
- 没年
- 昭和40(1965)年7月18日
- 出生地
- 長野県
- 学歴〔年〕
- 陸士(第14期)〔明治35年〕卒,陸大〔明治45年〕卒
- 経歴
- 明治37年4月日露戦争に出征。陸大卒後、騎兵学校教官、陸大教官、朝鮮軍参謀、参謀本部課長、騎兵第4旅団長、参謀本部第3部長、第12師団長、第3軍司令官を経て、昭和13、14年にかけて中支派遣軍総司令官、14年教育総監、15年大将となり、19年7月から関東軍総司令官を務める。終戦に当たっては“聖断を奉戴”して簡明な裁断を下したため即時停戦が確立し、関東軍の混乱は回避された。さらに満州在留日本人の保護と早期送還についてしばしばソ連当局に要望したが受け入れられず、自らは11年にわたってシベリアのハバロフスク、イワノボの各収容所に抑留されたのち、31年6月に帰国、その9年後に死去。平成7年抑留時代の日記の一部と回想録が発見された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報