ロシア連邦,ヨーロッパ・ロシアの中央部,同名州の州都。モスクワの北東318km,ウボジ川に沿う繊維産業都市。人口41万8248(2004)。1871年,イワノボとボズネセンスキーの2村が合併し,1932年までイワノボ・ボズネセンスクIvanovo-Voznesenskと称した。16世紀にイワン4世が妻の弟に下賜した土地で,その後何人かの貴族の手を経たが,1741年には農民による最初の亜麻布工場が開設され,製品はイギリス市場にも出た。18世紀末から,綿布生産へ移行し,1820年代末から機械が導入された。48年,中心となるガレーリン綿紡工場が創業し,当地は“ロシアのマンチェスター”として有名になった。70年代から労働運動が展開され,95年,マルクス主義的な〈イワノボ・ボズネセンスク労働者同盟〉が結成された。1905年革命時に最初のソビエトが形成されたのは当地である。現在,周辺の町でも綿布,リンネルを生産している。
執筆者:高田 和夫
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ロシア連邦西部、イワノボ州の州都。モスクワの北東約318キロメートル、ボルガ川の支流ウボディ川の川岸にある工業都市。人口46万3400(1999)。ロシア有数の繊維工業都市で、混紡、梳毛(そもう)、綿・絹・毛織物、既製服製造工業のほか、第二次世界大戦後、繊維機械、自走クレーン、泥炭採掘機、中ぐり盤などを製造する機械工業、食品(食肉、マーガリン、水産加工)、化学、木材加工、建設資材工業などが発展した。ソ連崩壊後、繊維部門では12の工場、コンビナートが操業しているが、生産低下など厳しい状況下にある。1741年、イワノボ村に最初のマニュファクチュアが操業し、18世紀末に亜麻(あま)布生産から綿布生産に転換、農奴解放(1861)後、繊維工業が大発展した。1871年イワノボ村とボズネセンスク村が合併して、イワノボ・ボズネセンスク市となり、ロシアの大繊維工業中心地として栄え、「ロシアのマンチェスター」とよばれた。1905年に生じた「イワノボ・ボズネセンスクのストライキ」は労働運動史上著名である。同市名は1932年まで用いられた。総合大学のほか、繊維、医科、農業、化学、教育の諸大学、郷土博物館、美術館などの施設があり、交響楽団も存在する。
[中村泰三・小俣利男]
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