山田別所村(読み)やまだべつしよむら

日本歴史地名大系 「山田別所村」の解説

山田別所村
やまだべつしよむら

[現在地名]吹田市山田東やまだひがし三丁目・清水しみず青葉丘北あおばおかきた千里万博公園せんりばんぱくこうえんなど

山田八ヵ村の一。山田小川やまだおがわ村の東、山田下やまだしも村との間に挟まれた南北に狭長な村。単に別所村ともいう。村は千里丘陵上にあり、東部は四〇メートルから七〇メートルの起伏のある地形西部は山田川に向かって開ける地形である。寛永一四年(一六三七)頃までに山田小川村からの分村が領主板倉氏によって公認された(吹田市史)。しかし郷村帳類では小川村に含まれて扱われていたとみえ、元禄郷帳に小川村枝郷として登場するのが早い例である。天保郷帳にも小川村枝郷の注がある。領主の変遷は山田村参照。反別は寛永一八年の名寄帳によると九町六反余(登録人二五)、元禄七年(一六九四)の名寄帳では九町余(登録人三五)と減少しているが、これは溜池を造ったため(吹田市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報