山科言国(読み)やましな ときくに

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山科言国」の解説

山科言国 やましな-ときくに

1452-1503 室町-戦国時代公卿(くぎょう)。
享徳元年生まれ。山科保宗の子。山科顕言(あきとき)の養子となり,内蔵頭(くらのかみ),参議をへて明応元年権(ごんの)中納言。従二位。日記「言国卿記」は応仁(おうにん)の乱後の京都の政情,文化・芸能などを知る上で重要な史料である。文亀(ぶんき)3年2月28日死去。52歳。法名は盛言。

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367日誕生日大事典 「山科言国」の解説

山科言国 (やましなときくに)

生年月日:1452年2月23日
戦国時代の公卿
1503年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の山科言国の言及

【言国卿記】より

…室町時代後期の公卿山科言国(1452‐1503)の日記。途中が欠けているが,1474年(文明6)から1502年(文亀2)までが現存。…

【山科家】より

…藤原北家房前(ふささき)の男魚名の後裔で,四条家の支流に当たる。すなわち四条中納言家成の六男権中納言実教(さねのり)(1150‐1227)を祖とする。後白河法皇の寵妃丹後局(高階栄子)の子教成(のりしげ)(1177‐1239)は法皇の信任が厚く,勅旨により四条実教の嗣子となり,丹後局の山科の別業を譲られ,子孫は同所に住んだが,南北朝時代の中ごろ,教行のときから地名にちなんで山科を姓とするようになった。…

※「山科言国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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