日本大百科全書(ニッポニカ) 「リッピ)」の意味・わかりやすい解説
リッピ(Fra Filippo Lippi(1406―69))
りっぴ
Fra Filippo Lippi
(1406―1469)
イタリアの画家で修道僧。フィレンツェに生まれる。幼少期を孤児として過ごし、1421年に同市サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂の修道院に入るが、画家としての最初の記録は1431年である。したがって彼は、同聖堂ブランカッチ礼拝堂におけるマゾリーノ・ダ・パニカーレとマサッチョの壁画制作(1425~28)を実地に見学する機会があったはずで、初期の画法にはとくにマサッチョの影響が顕著である。1434年パドバに赴き、1437年にはフィレンツェに帰って『聖母子』(ローマ、バルベリーニ美術館)と『聖母子、天使および諸聖者』(パリ、ルーブル美術館)を制作した。1442年にはフィレンツェ近郊レニャイアのサン・クイリコ聖堂の修道院長に任命されるが、この年から1447年までの間に大作『聖告』(フィレンツェ、サン・ロレンツォ聖堂)および『聖母戴冠(たいかん)』(フィレンツェ、ウフィツィ美術館)が完成された。1452年ごろフィレンツェのバルトリーニ家からの委嘱で制作した円形画『聖母子』(フィレンツェ、ピッティ美術館)は、空間表現に対する彼の精通ぶりを示している。
1456年にプラートのサンタ・マルゲリータ聖堂の礼拝堂付き司祭となり、そこで修道尼ルクレチア・ブティと邂逅(かいこう)し、彼女との間に設けたのが画家フィリッピーノ・リッピである。彼はまたボッティチェッリの最初の師としても知られる。フラ・フィリッポの作品はほとんどが聖母子を主題としているが、ほかに数点の『キリスト誕生図』もある。1466年にスポレート大聖堂に『聖母戴冠』を制作すべく同地に赴くが、完成しえないまま1469年に同地で没した。
[濱谷勝也]
リッピ(Filippino Lippi(1457ころ―1504))
りっぴ
Filippino Lippi
(1457ころ―1504)
イタリアの画家。画家で修道僧のフラ・フィリッポ・リッピと修道尼ルクレチア・ブティとの間にプラートで生まれ、フィレンツェに没。初め父から絵の手ほどきを受けたが、その後、かつて父に師事したボッティチェッリの工房で修業した。彼の最初の大規模な仕事は、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂にマサッチョが未完成のまま残した壁画を完成することであった。これを1484年ころには完成し、86年には代表作『聖ベルナルドの幻想』(フィレンツェ、聖ベネディクト会修道院)を制作している。この作品に示された繊細な描線と明るい色調は父親譲りのものにほかならない。彼はこれら一連の作品によって有力な後援者ロレンツォ・デ・メディチが「古代ギリシアの画家アペレスにも勝る」と賞賛したといわれるくらい、非常な名声を博した。そのほかの作品では、フィレンツェのサンタ・マリア・ノベッラ聖堂ストロッツィ礼拝堂に描いた連作『聖ピリポと聖ヨハネの物語』、ローマのサンタ・マリア・ソプラ・ミネルバ聖堂カラッファ礼拝堂を装う『聖トマス・アクィナス物語』がよく知られている。
[濱谷勝也]