リッピ

デジタル大辞泉 「リッピ」の意味・読み・例文・類語

リッピ(Lippi)

(Fra Filippo ~)[1406~1469]イタリアの画家。フィレンツェ派。現世的、人間的情緒をたたえた聖母子像を好んで描いた。
(Filippino ~)[1457ころ~1504]イタリアの画家。フィレンツェ派。の子。父に学び、のち、ボッティチェリに師事。

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精選版 日本国語大辞典 「リッピ」の意味・読み・例文・類語

リッピ

  1. [ 一 ] ( Fra Filippo Lippi フラ=フィリッポ━ ) イタリアのフィレンツェ派の画家。修道僧であったが奔放な生活を送り、現世的な聖母子像などを描いた。代表作はプラト大聖堂の壁画。(一四〇六‐六九
  2. [ 二 ] ( Filippino Lippi フィリッピーノ━ ) イタリアのフィレンツェ派の画家。フラ=フィリッポ=リッピの息子。ボッティチェリに学び、優美でやや通俗的な作風をもつ祭壇画・壁画を制作。代表作「ベルナルドゥスの幻視」(一四五七頃‐一五〇四

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百科事典マイペディア 「リッピ」の意味・わかりやすい解説

リッピ[父子]【リッピ】

イタリア・ルネサンス期の画家父子。父フラ・フィリッポ・リッピFra Filippo Lippi〔1406ころ-1469〕は,フィレンツェに生まれ,ロレンツォモナコに師事したという。初めゴシック的作風であったが,のちフラ・アンジェリコマサッチョの影響を受け,力強い造形と洗練された色彩によって宗教的主題を世俗画風に描く独自の画境を開いた。弟子ボッティチェリがいる。代表作に,多くの〈聖母子像〉やプラト聖堂壁画(《ヘロデの宴》ほか,1452年―1564年)がある。聖職者であったが,奔放な性格から詐欺事件を起こしたり,特認を得て修道女ルクレツィアと結婚しフィリピーノをもうけるなど逸話が多い。フィリッピーノ・リッピFilippino Lippi〔1457ころ-1504〕は,ボッティチェリに師事し,流動的な描線と明るい色彩を用いて,情緒的表現を得意としたが,晩年にはマニエリスムの傾向を帯びた。マサッチョの跡を受けてブランカッチ礼拝堂壁画の《ペテロ伝》を完成させるなど多くの作品がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リッピ」の意味・わかりやすい解説

リッピ(Fra Filippo Lippi(1406―69))
りっぴ
Fra Filippo Lippi
(1406―1469)

イタリアの画家で修道僧。フィレンツェに生まれる。幼少期を孤児として過ごし、1421年に同市サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂の修道院に入るが、画家としての最初の記録は1431年である。したがって彼は、同聖堂ブランカッチ礼拝堂におけるマゾリーノ・ダ・パニカーレとマサッチョの壁画制作(1425~28)を実地に見学する機会があったはずで、初期の画法にはとくにマサッチョの影響が顕著である。1434年パドバに赴き、1437年にはフィレンツェに帰って『聖母子』(ローマ、バルベリーニ美術館)と『聖母子、天使および諸聖者』(パリ、ルーブル美術館)を制作した。1442年にはフィレンツェ近郊レニャイアのサン・クイリコ聖堂の修道院長に任命されるが、この年から1447年までの間に大作聖告』(フィレンツェ、サン・ロレンツォ聖堂)および『聖母戴冠(たいかん)』(フィレンツェ、ウフィツィ美術館)が完成された。1452年ごろフィレンツェのバルトリーニ家からの委嘱で制作した円形画『聖母子』(フィレンツェ、ピッティ美術館)は、空間表現に対する彼の精通ぶりを示している。

 1456年にプラートのサンタ・マルゲリータ聖堂の礼拝堂付き司祭となり、そこで修道尼ルクレチア・ブティと邂逅(かいこう)し、彼女との間に設けたのが画家フィリッピーノ・リッピである。彼はまたボッティチェッリの最初の師としても知られる。フラ・フィリッポの作品はほとんどが聖母子を主題としているが、ほかに数点の『キリスト誕生図』もある。1466年にスポレート大聖堂に『聖母戴冠』を制作すべく同地に赴くが、完成しえないまま1469年に同地で没した。

[濱谷勝也]



リッピ(Filippino Lippi(1457ころ―1504))
りっぴ
Filippino Lippi
(1457ころ―1504)

イタリアの画家。画家で修道僧のフラ・フィリッポ・リッピと修道尼ルクレチア・ブティとの間にプラートで生まれ、フィレンツェに没。初め父から絵の手ほどきを受けたが、その後、かつて父に師事したボッティチェッリの工房で修業した。彼の最初の大規模な仕事は、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂にマサッチョが未完成のまま残した壁画を完成することであった。これを1484年ころには完成し、86年には代表作『聖ベルナルドの幻想』(フィレンツェ、聖ベネディクト会修道院)を制作している。この作品に示された繊細な描線と明るい色調は父親譲りのものにほかならない。彼はこれら一連の作品によって有力な後援者ロレンツォ・デ・メディチが「古代ギリシアの画家アペレスにも勝る」と賞賛したといわれるくらい、非常な名声を博した。そのほかの作品では、フィレンツェのサンタ・マリア・ノベッラ聖堂ストロッツィ礼拝堂に描いた連作『聖ピリポと聖ヨハネの物語』、ローマのサンタ・マリア・ソプラ・ミネルバ聖堂カラッファ礼拝堂を装う『聖トマス・アクィナス物語』がよく知られている。

[濱谷勝也]

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改訂新版 世界大百科事典 「リッピ」の意味・わかりやすい解説

リッピ
Fra Filippo Lippi
生没年:1406ころ-69

イタリアの画家。フィレンツェで肉屋の息子として生まれる。カルメル会修道士となるべく,フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会の修道院に入れられ,そこで画業を修めた。同教会のブランカッチ礼拝堂には,1425-28年にマサッチョが師マソリーノ・ダ・パニカーレとともにフレスコ《ペテロ伝》を描いたが,フィリッポ・リッピとその壁画制作との関係は不明である。しかし,32年ころ制作の《カルメル会則の承認》には,明らかにマサッチョの影響による自然主義的な形態感覚がみられる。ついでドナテロやフラ・アンジェリコ等の影響を受けるが,52-64年に制作したプラート大聖堂壁画では,15世紀半ばのフィレンツェ美術の華麗な趣味を反映した,流麗な線描による動きの表現を達成した。終始メディチ家の庇護を受け,コジモ・デ・メディチの尽力で尼僧ルクレツィア・ブーティとの結婚に特認を得,一児フィリッピーノをもうけた。
執筆者:


リッピ
Filippino Lippi
生没年:1457ころ-1504

イタリアの画家。画家フィリッポ・リッピの子。プラート生れ。父の死後,その弟子であったボッティチェリの工房で画業を修める。マサッチョが未完に残したフィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会ブランカッチ礼拝堂の《ペテロ伝》を,1484年ころ完成させる。86年ころ,代表作《ベルナルドゥスの幻想》を制作。続いて1500年前後の約10年間に,フィレンツェのサンタ・マリア・ノベラ教会ストロッツィ礼拝堂や,ローマのサンタ・マリア・ソプラ・ミネルバ教会カラッファ礼拝堂に大がかりな壁画を制作し,名声を博す。ときに奇異の感を与えるまでに誇張した劇的な感情を画面に表現し,マニエリスムを予告する美意識を示している。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リッピ」の意味・わかりやすい解説

リッピ
Lippi, Fra Filippo

[生]1406. フィレンツェ
[没]1469.10.8/10. スポレト
イタリアの画家。早くから孤児となり,伯母に育てられ,1421年サンタ・マリア・デル・カルミーネ修道院に入会,1430~32年は同修道院の記録に画家として記されている。初期の作品には同修道院のフレスコ画の作者マサッチオマソリーノ・ダ・パニカーレの影響がみられる。 1434年はパドバで制作,1437年以降はフィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂,サンタンブロジオ聖堂の壁画制作に活躍。 1442年にはフィレンツェ近郊にあるサンクイリコ修道院長となった。 1445年頃からフラ・アンジェリコの影響がみられ,1452年にはプラト大聖堂の壁画をアンジェリコに代わり制作した。その頃サンタ・マルゲリータ修道院の尼僧ルクレツィアと恋愛し,二人の間にのちに画家となるフィリッピノ・リッピが生まれた。崇高ななかに人間的な感情を盛り込んだ画風と,奔放な私生活で知られた。主作品は『聖母の戴冠』 (1447,ウフィツィ美術館) ,『聖アンナの物語を背景とした聖母子』 (1452,ピッティ美術館) 。

リッピ
Lippi, Filippino

[生]1457頃.プラート
[没]1504.4.18. フィレンツェ
イタリアの画家。画家フラ・フィリッポ・リッピの子で,父とともにスポレト聖堂の壁画制作に従事し,父の死後はフィレンツェのサンドロ・ボティチェリに師事した。初期の作品はボティチェリに近いが,1480年頃から明るい色彩のより個性的な作風を確立。フィレンツェ,ローマで多くの壁画を制作した。後期の作品は装飾的で,トスカナ地方のマニエリスム的傾向を発展させた。作品は『ヨアキムとアンナの出会い』 (1497,コペンハーゲン国立美術館) ,『聖セバスチャン』 (1503,ジェノバ,ビアンコ宮殿) 。

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