岡沢村(読み)おかざわむら

日本歴史地名大系 「岡沢村」の解説

岡沢村
おかざわむら

[現在地名]三川村岡沢

東は五十沢いかざわ村、西は岩谷いわや村、北は古岐ふるまた村の山に接する。小名として本村の北に上島かみしま新谷あらや川沿いに若栗林わつくりばやし、南の阿賀野川沿いに船渡ふなとがある(新編会津風土記)。本村の東をなかさわ川が南流して阿賀野川に流れ込む。明応九年(一五〇〇)七月三〇日の蘆名盛高知行充行状(小田切文書)によれば、恩賞として「岡さハ」を小田切小次郎に給与した。文禄三年(一五九四)七月の蒲生氏高目録帳(内閣文庫蔵)に「河口 岡沢 百五十六石六斗一升」とあり、給人は平左。元禄郷帳では九三石五斗余。文化年間(一八〇四―一八)の家数は本村四一・上島二三・若栗林三・船渡(新編会津風土記)


岡沢村
おかざわむら

[現在地名]中郷村岡沢

岡沢新田の北にあり、北は菅沼すがぬま(現新井市)北東福田ふくだ新田がある。正保国絵図に高一一四石余とある。その後当地周辺では新田開発が盛んに行われ、明暦四年(一六五八)覚書(大滝せい氏蔵)によれば、岡沢村・菅沼村の新田高一一石四斗の一〇分の一を開発者阿部利左衛門に年年上納している。天和三年郷帳では二つの新田高のほかに、本村分として高三四七石三斗余、うち山高九升六合・漆高三升が記される。旧高旧領取調帳でもほぼ同高。周辺山地はほとんどが関山せきやま三社権現領であったため、新田開発や入会地についてその別当宝蔵ほうぞう院との間で紛争が絶えなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android