新谷村
あらやむら
[現在地名]三川村新谷
新谷川の南岸・北岸に集落があり、南は行地村、北は綱木村、新発田街道が通る。西は綱木川を境に古岐村と接する。「新編会津風土記」によれば、昔は六町ほど東にあって「島村」と称したという。新発田街道駅所で南に幸神峠があり、新谷川には橋が架かる。上流は長走川というとある。新谷村から河口村までを内川通といった(阿賀の里)。
新谷村
にやむら
[現在地名]今治市新谷
今治平野南西部に位置し、山間から丘陵・平坦地にわたる大村。開発も古く、各所で弥生土器を出土し、古墳が分布している。また銅鉾・子持勾玉も出土している。北は松木村・中寺村・徳重村・四村・五十嵐村、東は町屋村、古谷村(現越智郡朝倉村)と接し、西と南は山地で別所村・小鴨部村(現越智郡玉川町)と接する。西部の鹿ノ子池は寛政一一年(一七九九)に二九年を要して完工した越智郡第一の大池で、十数ヵ村を灌漑する。
新谷村
あらやむら
[現在地名]岩城町勝手 上新谷
日本海に面し、北は羽川村(現秋田市)、南は勝手村に接し、東から雪川が流れる。
慶長一七年(一六一二)の由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)に新屋村、行川村とあり、ともに羽根川郷に属している。のち行川(雪川)村を併せ、正保三年(一六四六)の出羽国油利郡内高目録(秋田県庁蔵)に荒谷村として四四四石八斗六升とあり、そのうち畑は七斗五升で、「海辺 旱損所 新開有」と記される。
新谷村
にいだにむら
[現在地名]久美浜町字新谷
川上谷川中流部の東、支流出角川の谷に集落をつくる。北は芦原村に、南は出角村に接する。この付近一帯には古墳が多い。
中世末の丹後国御檀家帳に「川かみにい谷 家拾四五軒斗」と記される。近世に入り慶長検地郷村帳に高二九五・六石とみえるが、延宝九年(一六八一)には二九一石余と減少した(天和元年宮津領村高帳)。
新谷村
あらやむら
[現在地名]岩室村新谷
北流する西川と矢川に挟まれた低地にあり、西は橋本村、北東は油島村に接する。承応―明暦(一六五二―五八)頃開発され、元禄郷帳には舟越村枝郷として新谷新村とみえ、高八四石五斗余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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