岡藩主中川家墓所(読み)おかはんしゅなかがわけぼしょ

国指定史跡ガイド 「岡藩主中川家墓所」の解説

おかはんしゅなかがわけぼしょ【岡藩主中川家墓所】


大分県竹田(たけた)市、豊後大野市にある旧岡藩主、中川家の墓地。竹田は1594年(文禄3)に中川秀成岡城に入城し、以後明治維新にいたるまで中川氏の城下町であった。墓地は城下の碧雲(へきうん)寺(竹田市会々)、城下北方の大船(だいせん)山中(同市久住町)、城下南方の小富士(こふじ)山(豊後大野市緒方町)の3ヵ所に営まれている。碧雲寺墓所は庭園をともなう仏式の墓、大船山小富士山の墓所は自然のなかの儒式の墓で、1997年(平成9)に国の史跡に指定された。碧雲寺は1612年(慶長17)春、初代藩主中川秀成が建設に着手し、その年の夏、完成前に秀成は死去したが、葬儀はこの寺で行われた。この寺には初代秀成、2代久盛、4代久恒、5代久通、6代久忠、9代久持、11代久教の墓が営まれている。御成門に続く土塀に囲まれたなかに龍吟池(りゅうぎんち)を、その北側山麓には宝塔、輪塔などによる墓塔を配する。現在、付近は岡藩主おたまや公園として整備されている。城下を離れた大船山の山中には3代久清の墓があり、遺言によって墓は儒葬で営まれ、岡城の南の小富士山には8代久貞の墓があるが、他の藩主の墓地は東京江戸)芝青松寺、同青山共葬墓地に営まれている。碧雲寺へは、JR豊肥本線豊後竹田駅から徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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