朝日日本歴史人物事典 「岩佐純」の解説
岩佐純
生年:天保7.5.1(1836.6.14)
明治時代の医学者。近代日本医学の学制を築いた。越前国(福井県)元三上町の医師玄珪の長子。幼名又玄。坪井信良,坪井芳州,佐藤尚 中らに医学を学ぶ。また長崎に遊学しポンペに師事,万延1(1860)年福井藩主の執匙侍医となる。元治1(1864)年再度長崎でボードインより医学の伝習を受ける。明治2(1869)年医学校創立取調御用掛となり,相良知安と共に医学教育制度の範をドイツにとることを力説し,実現する。次いで学校権判事,文部大丞,宮内省大侍医,宮中顧問官に累進。高等官1等になり男爵を授けられる。墓所は東京都品川区の天竜寺。<著作>『急性病類集』
(寺畑喜朔)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報