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相良知安 さがら ともやす

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

相良知安 さがら-ともやす

1836-1906 幕末-明治時代の医師。
天保(てんぽう)7年2月16日生まれ。佐藤尚中(しょうちゅう),長崎のA.F.ボードインに西洋医学をまなび,前佐賀藩主鍋島閑叟(かんそう)の侍医となる。明治2年医学校取調御用掛となり,ドイツ医学の採用につとめる。5年第一大学区医学校(東京大学医学部の前身)校長,翌年文部省初代医務局長をかねた。明治39年6月10日死去。71歳。肥前佐賀出身。初名は弘庵。
【格言など】護健道ヲクスシノミチ,護健使ヲクスシト訓ジ,以テ医ノ名称ヲ廃スベシ(「保護健全意見書」)

相良知安 さがら-ちあん

さがら-ともやす

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

さがらともやす【相良知安】

1836‐1906(天保7‐明治39)
明治初・中期の医学者で,日本のドイツ医学採用を強く進言した。医制の起案をなす。佐賀県生れ。鍋島藩医学校を経て,佐藤尚中,ボードインAnthonius F.Bauduinなどに学び,鍋島閑叟の侍医となる。1869年(明治2)医学取調御用掛となるが,同僚岩佐純とともに,G.H.F.フルベッキの意見を参考として,ドイツ医学の採用決定に大きな役割をなす。一部に強い反対があり,イギリス人医師W.ウィリスの処遇,初回の教師の来着の遅れなどの問題があったが,71年ドイツ人教師ミュルレルLeopold B.C.Müller,ホフマンTheodor Hoffmannの来着をみた。

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