岩原城跡(読み)いわはらじようあと

日本歴史地名大系 「岩原城跡」の解説

岩原城跡
いわはらじようあと

[現在地名]堀金村大字烏川 岩原

角蔵こくぞう山の北の峰にあたる住吉麓すみよしふもとから北方に張り出した尾根先にある。文献上の初見は享保九年(一七二四)「信府統記」で、「本城ノ平東西十二三間、南北十間許り、大小ノかさし曲輪段々十八段アリ」とある。本城の平と尾根との間に大きな掘割がある。本城は三つの郭からなり、尾根先に十数個の帯郭と数条の掘割をつくり、前面の緩斜面に二〇個近い帯郭を施している。


岩原城跡
いわばるじようあと

[現在地名]鹿央町岩原

上岩原集落の西方にあり、古城こじよう高城たかじようともよばれる標高一七四メートルの山稜に位置する。山頂部は北東方向に主軸を呈する尾根となり、北東側寄りに長径四〇メートル・短径一〇メートル前後の平坦地がある。これより南西側二メートル下がった所にも平坦地がみられ、先端部四〇メートルの地点には深さ〇・五メートル、幅三メートルの浅い溝が横切っている。山稜斜面は南南西側を除き、いずれも急斜面となるが、山頂周辺には幅三メートルから五メートルの階段状地形が数段にわたって認められる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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