岩川村(読み)いわがわむら

日本歴史地名大系 「岩川村」の解説

岩川村
いわがわむら

[現在地名]遊佐町岩川

下小松しもこまつ村の西にあり、南は岩川新田村。岩川の西には中村なかむら、中村の西には荻生田おぎゆうだの集落がある。古来柳が多いので千本柳せんぼんやなぎとも称した。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録には岩川村・岩河村などとみえ高六五四石余。寛永元年庄内高辻帳には岩河村とあり高七一二石余、ほかに岩河村亥ノ興地一〇石余。享和三年(一八〇三)には家数三三・人数一五二(「村数家数人高控帳」斎藤文書)


岩川村
いわかわむら

[現在地名]長南町岩川

本台もとだい村の北東に位置する。一宮いちのみや川南岸の当地から古墳時代前期の遺物のほか、中世の溝跡一七条・井戸跡一基・掘立柱建物跡二五棟などの館跡とみられる遺構が火葬墓二基などとともに発見されている。出土した舶載陶磁器片では六八点の青磁が主体で、館主の性格の一面を示すものとされる。一三世紀末から一五世紀後半に営まれ、一五世紀代を盛期とする遺構と推定されている。


岩川村
いわかわむら

[現在地名]高津区千年ちとせ千年新ちとせしん

東は新城しんじよう(現中原区)、南は子母口しぼくち村・清沢きよさわ村、北は清沢村に接する。ほぼ中央を東から南へ中原なかはら道が通る。太田おおた竹の内たけのうち殿坂とのさかの小字がある。りよう用水の末流が清沢村より入り子母口村へ流れる。田園簿に村名がみえる。寛永一〇年(一六三三)以降旗本鈴木領。延享四年(一七四七)の稲毛川崎用水通田反別堰々諸色人足一件(横浜市添田文書)によれば一六町二反余、うち二町六反余は天水を利用、畑六町四反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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