朝日日本歴史人物事典 「岩松尚純」の解説
岩松尚純
戦国時代の武将。上野国(群馬県)新田荘の領主。家純の孫,明純の子。明応3(1494)年に祖父家純の死去により家督を継ぐが,翌4年に家老の横瀬国繁・成繁父子と争って敗れ,子の昌純に家督を譲って隠居。母が室町幕府の政所代を務め連歌の名手であった蜷川親当の娘であったことから,和歌や連歌に通じていたが,隠遁生活の中で一層この道を究めた。永正6(1509)年には関東に来た宗長と連歌を行い,また和歌の注釈や連歌の指導にも携わった。その著述『連歌会席式』は連歌会に臨む際の心得を記したものである。
(山田邦明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報