岩松尚純 いわまつ-ひさずみ
?-? 戦国時代の武将。
明応3年(1494)祖父の家純から上野(こうずけ)(群馬県)金山城をつぐ。翌年家臣の横瀬成繁(なりしげ)に実権をうばわれ隠居。和歌,連歌にすぐれ,宗祇(そうぎ)や宗長らをむかえ連歌の会をひらいた。一説に寛正(かんしょう)2年(1461)生まれで,永正(えいしょう)8年(1511)死去。号は静喜。姓は新田ともいい,名は「なおずみ」ともよむ。著作に「連歌会席式」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の岩松尚純の言及
【岩松氏】より
…1417年(応永24)[上杉禅秀の乱]において,岩松満純は,上杉禅秀に味方して滅亡する。岩松氏はまもなく再建されるが,礼部・京兆二家に分かれ,[享徳の乱]の過程で後者は滅亡し,前者の岩松尚純・昌純も,16世紀中葉には,家臣の横瀬(由良)氏に実権を奪われる。岩松尚純は宗祇と親交があり,連歌に通じていた。…
※「岩松尚純」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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