岩沢丙吉(読み)イワサワ ヘイキチ

20世紀日本人名事典 「岩沢丙吉」の解説

岩沢 丙吉
イワサワ ヘイキチ

明治〜昭和期の神学者,宗教家 陸軍大学校教授;ロシア正教会総理



生年
文久3年8月7日(1863年)

没年
昭和18(1943)年10月23日

出生地
伊豆本立野村(静岡県)

別名
洗礼名=アルセニイ,筆名=三里野人(ミリヤニン)

学歴〔年〕
正教神学校〔明治16年〕卒,ペテルブルグ神学大学〔明治21年〕卒

学位〔年〕
神学士〔明治22年〕

経歴
明治9年父や叔父と共にロシア正教会のニコライから洗礼を受ける。東京神田の正教神学校で神学を学んだのち、16年三井道郎と共にロシア留学を命じられ、モスクワの中学校を経て21年ペテルブルグ神学大学を卒業。同年に帰国後は、正教神学校教授を務める傍らで神学・哲学雑誌「心海」の編集や研究活動に従事し、正教会の機関誌「正教新報」などにも論文を寄せた。大正2年「正教思潮」が創刊すると、その編集を担当。6年には陸軍大学校教授に就任してロシア語を講じた。昭和14年宗教団体法の施行によって外国人による宗教団体の統括が不可能になると、セルギイ府主教に替わって正教会の総理となった。また、明治21年にはグレーホフ司祭と協力して「グレーホフ露西亜文法」を編纂するなど、日本におけるロシア語普及にも寄与編著は他に「露和辞典」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩沢丙吉」の解説

岩沢丙吉 いわさわ-へいきち

1863-1943 明治-昭和時代前期の神学者。
文久3年8月7日生まれ。明治16年ロシアに留学し,ペテルブルグ神学大にまなぶ。帰国後,母校正教神学校の教授となり,神学・哲学雑誌「心海」の編集にあたった。また司祭グレーボフに協力して「露西亜(ロシア)文法」を刊行。昭和18年10月23日死去。81歳。伊豆(いず)本立野村(静岡県)出身。筆名は三里野人(ミリヤニン)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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